戦国史を研究する者にとって避けて通れぬ人物、織田信長。中世的な権威の一切を否定し、徹底的な現実主義のもと、「天下布武」を旗印に天下統一に向けて邁進していた信長の、ほんの一瞬の油断により、その夢も野望もすべて業火の中に消えてゆきました。天正十年六月二日、「本能寺の変」。早暁に本能寺を取り巻いた水色桔梗の旗指物、鬨の声。信長の最後の言葉は「是非に及ばず・・・」。「いまさら何を言おうとどうしようもない・・・」という意味なのか、「光秀め、あれほど目をかけてやったのに、論外な奴!」というような意味であったのか、とにかく掴みかけた野望が指の隙間からこぼれていった信長の、万感の思いがこの言葉に秘められていたのでしょう。
安土城はその「信長の野望」が最も強烈な形で具現化した存在、と言えるでしょう。これまでの城郭の概念を完全に覆す異形の天主(安土城に限って天守ではなく天主と表記します)、幅6m、長さ180mもの直線的な大手道、自らを神格化し祀り神とした總見寺の建立・・・。そのどれもが常識をはるかに超えて、信長という存在を世に示したものと言えるでしょう。それまでの「戦いの場所としての城郭」から、近世城郭へ繋がる「権威を示す城郭」「見せる城郭」への転換点がこの安土城だったのですね。
よく安土城を「全山要塞化した大城郭」みたいな言い方をしますが、僕はむしろ、非常に防備の薄い城であると思います。それは前述の「見せる城郭」であることを優先したためで、そうでなければ延々と続く直線の大手道や、さほど急峻でもない小山に築城したことへの説明がつかないのです。信長としては、ここで籠城、などという戦い方は頭の中にも毛頭なかったのでしょう。
見学当日は晴れ渡った秋の空に、紅葉がとても美しく映えていました。立ち入り禁止区域もたくさんあるので、すべてを見ることは出来ませんが、整備された大手道を中心に、安土城の特異な遺構を堪能することができます。また城下には「セミナリヨ跡」や「安土城城郭資料館」「信長の館」などもあり、観音寺城のある繖(きぬがさ)山もすぐ隣なので、時間さえあれば一日中、戦国時代の歴史が堪能できそうです。「信長の館」には安土城天主の最上階(5、6階部)が復原されているので一見の価値あり。
安土城めぐり