長い梅雨も明け、夏の陽光が青い湖水に輝いている。蝉時雨の中、ときおり木々の間を吹き抜ける風が、林立する万余の旌旗を揺らしている。対峙する毛利の軍勢三万、秀吉率いる織田の軍勢三万が息を止めて見守る中、一艘の小舟が、なかば水没しかかった城から湖面に滑り出てくる。舟には、白装束に身を包む長身の城将・清水長左衛門宗治、その兄月清、毛利の軍監・末近左兵衛門らの姿。やがて舟は検死役の堀尾茂助の舟と湖上で落ち合う。
「ご約定に相違いなく御出での儀、忝く存ずる。長きに渡る籠城のご辛苦、ご推察申し上げる。主人、羽柴筑前守よりささやかながらの酒肴がござれば、お受け取り願い申す。」
「これは忝き御振舞い、痛み入る。筑前守どのにはよしなにお伝え願いたい」
蛙ヶ鼻の本陣に構える秀吉から送られた酒肴で別れの盃を交わす宗治主従。宗治は舟の上に立ち上がり、曲舞「誓願寺」を舞う。舞い終わるや、まず兄の月清が、続いて宗治が、毛利よりの援軍三万と、秀吉率いる織田軍三万がしわぶきひとつなく見守る中、軽く三方に会釈をし、おもむろに前をはだけるや、脇差でその腹を深く突き、真一文字に掻き切った。「丁」の掛け声とともに介錯の刃が振り下ろされるや、宗治の頚はその皮一枚を残して、両腕に抱きかかえられるように前に転がり落ちた。その後を追って軍監の末近左兵衛門、郎党の田村七郎次郎、船頭役を買って出た難波伝兵衛ら、家臣たちが自刃する。蛙ヶ鼻本陣の秀吉は、溢れる涙を拭おうともしない。しかし、この華やかで美しく、荘厳な死の演出の幕が下りるや、秀吉はもはや天下に向かって、その馬を返していた。
* * * * * * * * * * * * *
世にも名高い秀吉の水攻めと、本能寺の変の後の「中国大返し」で超有名な場所です。いわば、天下獲りに走り出した秀吉の「頭脳」を披露するための舞台だったといえます。
そんな中、主家・毛利氏に最後まで忠誠を尽くし、城兵5000名に代わり自刃した清水長左衛門宗治の生き方に、僕は武士の鑑を見る思いがします。あの日、梅雨明けの晴れ渡った空の下で舟を浮かべ、白装束で曲舞「誓願寺」を舞い、 浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して の辞世を残し散っていった宗治。その死に様は、史上最も華やか、かつ、荘厳、厳粛なものであったことでしょう。「武士道は死ぬことと見つけたり」というのは江戸期に入ってからの武士道で、この当時はまだ寝返り・謀叛も軍略のうちだった時代。その時代にあくまでも武士としての意地と忠誠を捨てず、自らの死に様を最大限に演出した宗治という男に、限りない敬愛を感じずにはいられません。
宗治自刃の地に立ったとき、思わず目頭が熱くなりました。毛利と羽柴の旗が風に揺れる中、両軍合わせて8万人の将兵が息を止めて船上の宗治を見つめる、そんな幻が今にも見えそうな気がしました。清水宗治、享年四十七歳。 |