村上城の雪化粧(2)

冬枯れの村上城(画:越後ノ丸)

本丸の石垣端から出櫓方面を眺める。結構な高さですよ(人が歩いているのが見えますか?)。 足元の石垣を見下ろす。「扇の勾配」がよくわかりますね(^^)
本丸の石垣の折れと、城下町村上。その先には日本海の青い海が。もっと天候に恵まれれば、佐渡島や粟島までバッチリ見えます。 天守台に建つ「舞鶴城址」の石碑。

天守台から、三面川の河口方面を見る。

お城とは全く関係がありませんが、母校に敬意を表して。新潟県立村上高等学校です。あの頃はお城なんて気にも留めなかったなあ。。。

本丸帯曲輪から天守台を見る。帯曲輪にも石垣が使われていて、山麓から見るとひとつのまとまった高石垣に見えます。工事の手間を省きつつ見た目の権威も示せる、省エネ&ローコストな工法じゃないでしょうか(^^) 本丸帯曲輪周囲にも石垣の櫓台があります。これは巽櫓の石垣。
井戸方面に行こうとして見つけた石垣虎口。井戸曲輪へは四ツ御門経由で降りるのですが、ここは御鐘門直下に当たります。で、早速降りてみます。 これが「東門」であるらしいです。向こうに見える整った石垣が御鐘門。しかし、堅固な御鐘門のすぐ近くの直下に石垣作りの門とはいえ、こんな平虎口があるのはちょっと不思議です。
しかも井戸曲輪附近にももう一つの石垣虎口がありました。 何度も来ていながら今回初めて見た井戸。石垣作りの箱井戸で、青々とした水を湛えて神秘的ですらありました。素晴らしいです。
井戸より東のちょっと出っ張った部分が通称鉄砲クラ。半島状の出っ張りの付け根には大きな土塁がありましたが、もしかしてそれも石垣かも知れません(雪で見えんかった。。。)。 これは本丸冠木門のすぐ近くの埋門、下には腰曲輪が見えるのですが、明瞭な通は無く急斜面です。なので前述の井戸曲輪方面から迂回しました。
で、井戸曲輪方面から迂回すると、写真のような馬蹄段が連続していました。この辺は近世村上城、というよりも中世本庄城、の色彩が濃い遺構かもしれないです。 同じく腰曲輪群のひとつ。腰曲輪といっても、かなり広い曲輪もあります。しかも・・・。
腰曲輪には井戸までありました。この東側斜面は全体に湧水が多いようです。さらに奥に歩を進めると・・・。 スゴーイ!!思わず叫び声を上げてしまった長大竪堀が!深さは3m、長さは100m近くで、草木のない斜面をドドーンと山麓に。これも中世本庄城の遺構と見るべきでしょう。
こちらは城下町。「羽黒口」附近の道路は今でもこのような食い違いの屈曲が見られます。 これはちょっと離れた間島集落附近。これが村上城の石切り場です。近世村上城の石垣はここで切り出され、せっせせっせと運ばれました。

上記文中の「東側長大竪堀」の下には、さらに驚くべき遺構群がありました。これらの詳細については本庄城の頁を見てください。

村上城  村上城の雪化粧(1)  本庄城

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