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渋海川東岸から見る犬伏城山と犬伏の集落。集落は川の曲流部に囲まれた30mほどの崖の上にあり、軍道警護のために計画的に配置された集落でした。謙信はおそらく台地端の高台「諏訪ノ原」あたりで大イビキで寝ていたことでしょう。 |
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犬伏集落から見る犬伏城の城山。ここからの比高は160m、程よく整備された山道が歩いていても気持ちよいです。 |
集落の台地南西端から登山口があります。このあたりは渋海川へ落ち込む断崖絶壁もなかなか険しい。 |
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近世に松之山街道としても使われた上杉軍道、なんという素晴らしさ!馬二頭、徒兵3人が十分並んで進めます。 |
ところどころこんな感じの切所もあります。関東への旅を続ける軍団はこの坂を下って犬伏集落へと入ることとなります。 |
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軍道から犬伏城の城域へといたる大手口。切通しの道を通ってZ曲輪へと向かいます。 |
その大手口から振り返って見る軍道。今にも鎧武者たちの行列が現れそうな、そんな錯覚に捕らわれそうです。 |
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最初に出くわす関門がZ曲輪。このあたりは削平は甘いものの大手道を頭上から攻撃できる位置にあり文字通り前衛の砦、といった感じです。 |
とりあえず先に山頂へと向かいます。途中、深い沢越えます。この沢によって城域は北の峰と南の峰に二分されています。 |
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主郭の切岸下にあった甲清水。雑草に覆われていますが、当時は貴重な籠城用の飲料水だったのでしょう。 |
主郭へ。ここまで緩やかな道をおよそ20分。なにやらのアンテナなどもありちょっと興醒めですが、見晴らしはなかなかです。 |
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主郭の虎口。下に帯曲輪があり、切岸によって枡形状の空間を作り出しています。 |
主郭からの景色。なんか山ばっかです。谷間に雲が湧き上がり、水墨画のような風景でした。 |
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西側の尾根続き、搦手方面は細尾根が続きやがて軍道に合流します。こちらにはなぜか堀切などは一切ありませんでした。 |
主郭の南東から尾根に突き出た櫓台状の遺構。南尾根を俯瞰する防衛の要でもあります。 |
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南尾根の道なき道を進むと、堀7・8の二重堀切が現れます。このお城は規模の割に堀切は少ないようです。 |
堀切8は苔むした急峻な切岸が美しい。高さは西側で8m、東側2mほどです。 |
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南尾根の段々の削平地。やたらと削平地が多いですが、それぞれの切岸は高く急峻で、いかにも上杉直営であることを感じます。 |
こちらは北側尾根の堀切1。堀切が少ないこのお城の中では一番規模が大きい堀です。 |
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U曲輪はご覧の通り、鬱蒼としたヤブでした。突如ウサギが飛び出してきてビックリ。 |
北尾根にも堀3・4の二重堀切があります。規模はいずれも3m程度と、それほど大きなものではありません。 |
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U曲輪方面へと繋がる竪堀状通路。さらに横堀状の通路へと繋がります。 |
城域を二分する谷に向かって伸びる小さな尾根にも堀6があります。竪堀状通路と並んでおり二重堀にも見えます。 |
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城内最大のY曲輪を見下ろすXの曲輪群。実質的にはWが中枢部で、このXの曲輪群はその直衛としての位置づけとなります。 |
城内最大のX曲輪。屋敷などが並んでいたことでしょう。籠城生活の実質的な中心部はココではないかと思われます。 |
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Y曲輪の虎口は枡形状になっており、谷の下から竪堀状通路が繋がります。一説にこちらが大手だということですが・・・。 |
しかし谷の中は大手どころか歩行困難な湿地と滑りやすい粘土の壁、とてもここが大手とは思えません。ここは進退に行き詰るので降りるのはやめたほうがいいです。。。。 |
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近世も宿場として栄えた犬伏集落、高札場などもあり、いかにも街道の宿場町という雰囲気を持っています。 |
宅地や畑などでゴチャゴチャしていますが、集落西側の山麓との境には泥田堀の痕が明瞭です。 |
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台地先端部の「諏訪ノ原」、ここも屈曲を持つ空堀12で区切られています。堀は家が建ってしまうほどの幅です。 |
諏訪ノ原の台地にはおそらく謙信の宿所があり、二日目の疲れを酒で癒しつつ夜を迎えたことでしょう。 |