会津街道を見下ろす古城

笠萱城

かさがやじょう Kasagaya-Jo

別名:赤谷古城

新潟県新発田市滝谷

(内の倉ダム脇・要害山)

城の種別

山城

築城時期

鎌倉時代

築城者

城長茂

主要城主

城氏

遺構

曲輪

内ノ倉ダム湖畔から見上げる要害山<<2002年05月05日>>

歴史

正確な築城時期は不明だが、鎌倉時代初期に幕府に反抗した城氏が築いたといわれる。天正九(1581)年に新発田城の新発田重家が上杉景勝に反抗して挙兵した際には、新発田氏を支えるため、会津芦名氏の被官であった小田切三河守が守備していたが、古城の笠萱城では上杉の大軍を支えきれないとして、飯豊川対岸の関ヶ峰に新城(赤谷城)を急遽取り立てて籠城した。笠萱城はこのときに廃城になったと思われる。現在は内ノ倉ダム用地として、地形はかなり改変されている。

新発田重家の叛乱に呼応した、というよりも織田信長の意向を受けて新発田氏調略に暗躍した芦名氏関連の城郭として興味を示したのですが、「要害山」にある古城はこの新発田重家の乱で登場する赤谷城の前身で、実際にこの城で戦闘が行われたわけではないらしいです。しかし、標高292mの円錐形の堅固な山容で、芦名氏の被官であった小田切氏がなぜこの城を捨ててわざわざ急ごしらえの新城を取り立てたのかがわかりません。たしかに山が険しい分、大軍の籠城には向かないでしょうが、イマイチ理解に苦しむところです。

現状では「内ノ倉ダム」がつくられ、この要害山もコンクリで護岸されてかなり山容は変わってしまいました。ダム側からは登城路は見つかりませんでした。ダム湖側の斜面は急峻で、とても藪こぎで攻められるような地形ではありません。水源地でもある内ノ倉ダム用地になったことで、もしかしたら入山禁止になっているかもしれません。ダム湖に沈んだ場所にも遺構があったかもしれませんが、確認できる範囲では山頂付近に数段の小規模な削平地があるだけらしいです。「実際に現地に行く」のを原則としていますが、そういうわけで今回は周辺を見ただけにとどまりました。

多目的ダムである内ノ倉ダム。雪解け水と前夜の雨で水量も非常に多く迫力がありました。

笠萱城の要害山遠景。非常に堂々とした、堅固な山城に見えます。対岸にもほぼ同標高の同じような山があり、もしかしたら支城や狼煙台として利用されていたかもしれません。

 

 

交通アクセス

北陸自動車道「新潟空港」ICより車80分。

JR羽越・白新線「新発田」駅よりバス。

周辺地情報

上杉景勝との対決のために築いた新城・赤谷城が近いですが登っていません。近隣では新発田城や「奥山庄歴史の広場(江上館)」などがオススメです。

関連サイト

 

 
参考文献 「図説中世の越後」(大家健/野島出版)、「日本城郭大系」(新人物往来社)
参考サイト  

埋もれた古城 表紙 上へ