攻城日記
<<信濃城攻め紀行:9日目・最終日>>
僕の勤務先の某社では、勤続10年で「長期勤続者特別休暇」(7日間、軍資金付き)が貰えるのです!こんな会社でも10年も働いてればいいことあるんだね〜。で、念願の信濃への城廻りの旅に行ってきました。ここではその模様を簡単にご紹介します。いよいよ今日は最終日、そろそろ家の布団で寝たいな〜。 |
09:30 | 松本の本陣を撤収。今日はいよいよ最終日。油断して事故や怪我に遭わないようにしないと。 | ||
10:00 |
青柳城(長野県東筑摩郡坂井村)
前々日、雪と日没のため断念したお城。帰り道の方角は逆だが距離は遠くないので行ってみる。「お城ML」で話題になっていてその素晴らしさを知り、ぜひ行ってみたいと思った。「お城ML」に感謝。城主の居館や侍屋敷のあった清長寺方面から歩いて登るのが王道だが、ちょっとお疲れ気味なので搦手方面を車で失敬することに。青柳城は城址公園としてきれいに整備されており、遺構も非常に良好。尾根を断ち切る二重堀切の素晴らしさ、長大な竪堀、明瞭な枡形や石垣など、見所がたくさん。公園化されても遺構が失われていないところが素晴らしい。規模も大きく、ある意味で中世山城の教本的なお城かも。
宿場町の青柳宿には水路を伴った石垣の段があり、冠木門などもある。麻績IC方面に向う道には大きな切通しもある。見所いっぱい。雪を頂いたアルプスの山塊も美しい。
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12:40
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桑原城(長野県諏訪市)
途中で昼食を摂りつつ、車は一路、諏訪へ。諏訪茅野ICのすぐそばに、桑原城、上原城がある。桑原城は武田、高遠連合軍に攻められた諏訪頼重が上原城を棄てて立て籠もった、諏訪氏最期の地でもある。遠目にも山上の削平地が見られて、城跡だということはすぐにわかる。山麓近くには「桑原城址」の大きな看板もある。ルートも複数あるようだが、背後の林道沿いに登ることにした。山上には大きな首塚がある。主郭と二郭の間には堀切があり、周囲をいくつかの曲輪が固めているが、規模は大きくは無く、堅城という気もしない。なぜ頼重は上原城を自落させて、ここに立て籠もろうとしたのかがわからない。眼前の諏訪湖が美しい。頼重や信玄の妹・禰々、「湖衣姫」といわれる諏訪御寮人が見た景色。しばし湖衣姫を想い景色を眺め続けた。 |
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14:00
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上原城(長野県茅野市)
桑原城の程近くにある。城址まではきれいな舗装道が整備されていて、またまた横着ながら車で駆け上がる。途中、諏訪氏の館跡がある。板垣信方が郡代として館を構えた場所でもあり、今でも「板垣平」と呼ばれる。板垣信方はその後、上田原に散った。その板垣平は今ではすっかり耕されている。
山上の城址には「物見岩」と呼ばれる巨石がある。主郭の背後の堀切の巨大さは、さすが諏訪氏の本拠と思わせるものがある。一応連続竪堀らしきものもあるが、それほど規模は大きくは感じられない。神氏・諏訪氏だから、というわけでもないのであろうが、これまで見てきた荒々しく無骨な山城に比べると、なんとなく小ぶりでお上品な感じがする。 |
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15:10 | 高島城(長野県諏訪市)
今度こそ最後の最後である。秀吉の天下統一後、日根野氏によって近世に築かれた平城。かつては湖水に浮かんだ水の城であったが、いまや市役所わきの住宅地の中に本丸だけが取り残されている。三層の天守が復元されており、移築城門などもある。残っている範囲が少なくて、旧状を偲ぶには物足りないが、巨石を使った野面積みの石垣や水堀は悪くない。 |
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15:40 | さて、9日間にもおよぶ信濃の旅はこれにて終了。当初の予定では南信の城をいくつか見て、体力と資金に余裕があれば東美濃、飛騨まで攻め込むつもりでいたが、さすがにちょっと家に帰りたい気がしてくる。資金も底をつきかけている。そちらはまたの機会にすることに。でも北信、中信のお城はほぼ予定通り+αくらいが見れたので満足度は100%。ありがとう信濃。 | ||
21:00 | 途中、食事をしたり仮眠を取ったりしながらゆっくりと家路に向う。帰り道、中央道が集中工事でトンデモナイ渋滞になっていると知り、大月から御殿場経由で東名高速に迂回する。ついでに車中でもう一泊くらいすれば都留郡内のお城も見れそうだが、疲れているときにそういうスケベ心を出すと思わぬ怪我をしたりするもの。ここはおとなしく家に帰る。 | ||
22:30 | 下総の家に生還。長い旅が、今度こそ本当に終わった。 |
旅を終えて: それぞれのお城にはそれぞれの個性がありますが、手法や立地条件など、信濃のお城には意外と共通点も多いことに気づきました。平べったい割り石の石積み手法や、谷津を囲って峰上に小規模な城砦を転々と配置する手法など、はじめて見る目には新鮮に映りました。戸石城、葛尾城、荒砥城などに見られる「複合城郭群」という手法や、真田の郷を取り巻くように配置された城郭群など、ごく狭い範囲に驚くほど城郭が密集しているのも特徴と言えるかもしれません。これらはそれぞれの城郭を「点」として捉えるよりも、「面」として捉える、例えば真田の郷で言えば、盆地を囲うすべての城郭群が言わば「真田城」を作り上げている、と考えることも出来るかと思います。 道を教えてくれた多くの地元の皆さん、資料を送付してくれた市や観光協会、史跡を整備してくれている自治体や地元ボランティア、多くの情報を頂いた数々のWebサイトや「お城ML」にも改めて感謝したいと思います。 心配していたお天気も概ね順調で、晩秋の冷たい風が気持ちよかったです。今度は南の方を攻めたいなあ。暫くは、写真と資料の整理に追われそうです。 |