<<ヤブレンジャー大子直登ツアー>>

2005.02.11(金・祝) 晴れ

本日はヤブレンジャー図面描きツアーで茨城北端の奥久慈・大子方面へ出陣。寒さは覚悟していたものの、これほどまでに寒いとは・・・。しかし、寒さを吹き飛ばす熱気ある城攻めを展開してきました。以下、須賀川要害以外は茨城県。

見学先 山方竜谷城、大子城、相川館、須賀川要害、依上城、鏡城、池田古館
メンバー アオレンジャー殿、オカレンジャー殿、オレンジャー殿、ワカレンジャー殿、ウモレンジャー
前夜 前夜からオレンジャー殿のお宅で前泊、朝6:00に出発。朝の成田の寒さはシビレタ・・・。新利根町でオカ殿、ワカ殿と合流。さらに山方城のあやしい天守の下でアオ殿と合流し、我が愛馬・ネゴヤ号に五人を詰め込んで最初の目的地へ。

09:30

■山方竜谷城(常陸大宮市=旧山方町)
今日のメインの第一号。先端の畝状の遺構を描こう、という趣旨。1月9日の長倉攻めの際以来、およそ一ヶ月ぶりの再訪。前回見逃した台地基部の横堀などもしっかり押さえることができた。先端の畝状の遺構は一応一種の連続竪堀と解釈しているが、実際のところは謎である。このお城、山方城主だった山方氏の隠居城だったという伝承だが、個人的には何らかの陣城、それも構築途上で放棄されたお城であるような気がしてならない。しかしなにより、主郭のヤブの酷さといったら(><)

こちらは一般的に「山方城」として知られる御城。久慈川に面した段丘上に模擬天守が建つ。空と水の青さが美しい。 こちらは全く一般的ではない山方竜谷城。堀底を調査するレンジャー隊。先端附近には謎のボコボコ遺構がある。
11:30

 

 

■大子城(大子町
今日のメインの第二弾。比高200mにもおよぶ、道もロクにわからぬ山城に攻めかかろうという、勇敢というか無謀というか、恐ろしい挑戦の場。結局登り口がわからず、一度は諦めかけるも、自然と直登することに決まり、誰も文句を言わず(ここがポイント)急峻な山を直登しはじめる。
危険極まりない直登。この後暫く、アブナすぎて写真を撮る余裕さえなかった。

しかし、この急斜面は実にきつい。しかもつかまる木などが無くて実にアブナイ。後で知ったことだが、南側の谷筋から一応道があることはある。こちらの方が安全ではあるが、キツイことには変わりがない。

それでも遺構を見たときにはちょっと感動した。基本的には2つの大きな曲輪とこれを分断する大堀切、そして周囲の帯曲輪といった程度の簡単な構造。決して技巧的ではないし、大規模な遺構があるわけでもないのだが、佐竹氏と白河結城氏のぶつかり合ったお城として、きちんと遺構を残しているのが嬉しい。個人的には成果大。

山頂には曲輪を二分する大堀切。遺構さえあれば直登でも崖登りでも、誰も文句は言わない。 直登に飽き足りないのか、忍術の稽古をはじめる人まで・・・。

13:50

 

 

■相川館(大子町)
月居城主だった野内氏はもともとここに居住していたらしい。田んぼの中の高台が城址とみえ、堀跡らしきものや櫓台状の高台、横矢なども見える。が、お城を示す伝承地は別の高台らしい。でもこの台地もどう見ても館っぽく見えるんだけどなあ・・・。ここはよく分からなかった。近くの神社で昼食、この場を借りてソレガシは「境目哀歌」を初披露するのであった。

このあたり、結構「館」っぽいんだけどなあ・・・。
15:00

 

■須賀川要害(栃木県黒羽町)
なんと、国境を越えて下野へ。といっても大子のすぐ隣。佐竹氏が那須を攻めた際の陣城だったという。ここも比高100mほどあるが、またしても直登である。正直、山城直登が2つというのは体力的に厳しい。。。遺構は堀切、曲輪が少々の簡単なもので、レンジャー隊内では「期待はずれ」の声もあったが、佐竹氏の貴重な陣城遺構だと思うと来れたことが嬉しい。

規模は小さいが明瞭な堀切がある。
16:00

■依上城(大子町)
ふたたび常陸へ帰ってきた。ここは応永年間に山入一族の依上氏が居住し、依上保地方の拠点的城郭だったのでは、ということで勝手に期待していたのだが、基本的には段郭主体の古臭い城で、ちょっと期待はずれ。山入の乱で攻め落とされ廃城になった、という説と遺構が一致してはいるようだ。この依上氏への討伐をめぐって、歴史上にあの里見家基が登場する。里見氏が安房に頭角を顕す、およそ30年前の事件である。

ここは図面描きをする筈であったが、遺構面で特筆すべきものもあまりなく、ヤブが酷かったこともあってささっとスケッチ程度で済ませてしまった。どの道、縄張図片手に遺構を云々するような種類のお城ではない。

なんとも侘しい主郭。
17:00

■鏡城(大子町)
比高70mほどの山で、山頂に神社があるとのことだったが、登り口がわからず、またしても直登の予感。「こりゃマイッタ」と思ったら神社の参道に合流できてホッと一安心。もう夕方だってのに・・・。遺構は単純で、山頂の削平地と若干の腰曲輪、小規模な堀切程度。ここも白河氏と佐竹氏の争奪があったお城で、そういう意味では来てよかった。しかし、さすがにちょっと疲れたぞ。。。

遺構はパッとしないが、依上保の複雑な歴史背景を秘めたお城である。
17:00

■池田古館(大子町)
もう薄暗くなってきた。鏡城の山麓近く、国道沿いのセブンイレブンのまん前の畑が館で、堀跡が明瞭。鏡城に関連した館であったようだ。こういう分かりやすくて体力の必要ないお城って、デザートにはぴったりだなあ。見学が終わる頃には早くも夜の帳が降りてくるのであった。

田んぼになっている堀跡。もうあたりは薄暗くなっている。
  帰り道の途中で食事をとって解散。それにしても今日は疲れました。。。こんなに疲れたのは久々、やはり大子城と須賀川要害の直登ニ連発が足腰に来てしまった。。。しかし、ほんとに誰も文句を言わず、「ゴルゴ13」が契約をきっちり果たすように、計画通りに回ってしまうあたりがスゴイです。それにしても、大子まで行って、温泉にも入らず、「袋田の滝」も見ず黙々と城めぐり。まあこれもいつもの事ではありますが。。。実質的には大子城の直登こそがこの日のメインだったような感じでした。
ヤブレンジャーのみなさん、お疲れ様でした。

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