攻城日記

<<信濃城攻め紀行:6日目>>

僕の勤務先の某社では、勤続10年で「長期勤続者特別休暇」(7日間、軍資金付き)が貰えるのです!こんな会社でも10年も働いてればいいことあるんだね〜。で、念願の信濃への城廻りの旅に行ってきました。ここではその模様を簡単にご紹介します。6日目はいよいよ軍を「ザ・決戦」の地、八幡原に進めます。
見学先 八幡原古戦場および周辺、海津城周辺、妻女山、飯山城高梨氏居館、雨宮の渡し
見学日 2002年11月08日(金)

 

08:00 本陣の善光寺平を出発。今日はいよいよ「川中島」である。何度も本で読んだ川中島の合戦、イマイチ地理感が沸かなかったが、今日はその地理感を体に叩き込むつもりだ。かなり気合を入れて出陣。天候が若干不安。
09:00

八幡原古戦場(長野県長野市)周辺

いわずと知れた「第四回川中島合戦」での激戦の地。今は史跡公園としてきれいに整備されている。主要道路がすぐそばなので静かに当時を偲ぶ、というわけにもいかない。残念ながら深い霧に遭遇することはできなかった。8:30に着いたが、もう団体の観光バスが入ってくるのには驚いた。八幡社の甲軍本陣の枡形土塁は意外なほどよく残っている。有名な「三太刀七太刀」の銅像や石碑などを見ながら当時を偲ぶ。

お土産屋で諸角豊後守のお墓の場所を聞いたが、商魂たくましいオバチャンの攻撃に気付いたら林檎5個を買ってしまっていた。オバチャン強し。というか弱い俺。暫く川中島周辺のゆかりの地を廻る。諸角豊後守のお墓、山本勘助の墓、典厩寺、千曲川・犀川河畔・・・。「胴合橋」は場所が分らなかった。古戦場めぐりは結構大変だ。腹も減る。松代大橋たもとの大きな観光施設で食事。

12:10

 

 

海津城(長野県長野市)、真田藩邸他

信玄が川中島支配のために築かせたお城。近世には「松代城」として真田信之らが在城した。が!なんと復原工事のため全面立ち入り禁止!復原工事をやっているとは聞いていたがまさか全面的に立ち入り禁止とは。。。ちょっと残念。櫓門などは完成していた。周囲の土居、石垣の復原工事が今日も進んでいた。あくまでも個人の好みの問題だが、別に「復原」しなくてもいいような気がする。石垣だけ、堀だけ残っている城もそれはそれでいいものである。が、せっかく復原工事をしているので今後に期待しよう。

替りに松代の城下町をしばらく散策。真田藩邸や矢沢家、小山田家、白井家などの屋敷や門を見る。城下町がそのままよく残り、子孫の方々が今も居住している。尼厳山などの山城も周囲に控えている。なんとなく羨ましい街である。

13:30

 

 

妻女山(長野県長野市)、雨宮の渡し(長野県更埴市)

第四回川中島合戦の上杉軍本陣。展望台があり、八幡原を一望に見渡せる。山の先端はなんと長野道のために切り崩されてしまっていた。ウ〜ム、でもこの道路のおかげで自分もここまでこれたんだよなあ。。。複雑な気分。越軍の妻女山布陣については異論もあり、個人的にも戦略上疑問を感じてはいたが、ここから八幡原方面を見ると、なんとなく「ほんとにここに布陣したんじゃないかなあ」なんていう気にもなってくる。自衛隊が川中島合戦をテーマに軍事教練を行っていた。僕も混じって教官の話を聞く。「兵站線確保」などに関する話はなかなか面白い。さすが軍事専門家である。でも、もし自衛隊じゃないととするとちょっとコワイかも(未確認)。尼厳山、西条山などの山城群も見たいがさすがに時間が無い。またいつかのお楽しみに取っておく。

雨宮の渡しは更埴市のはずれにある。千曲川の河道が変わり、今は住宅地の中に「鞭声粛々」の碑が建っているだけだ。

15:00 飯山城(長野県飯山市)

地図で見ると近そうなので行ってみたら遠かった(笑)。越軍の北信への玄関口であると同時に春日山城防衛のための重要な位置にあるお城。越後はもう目と鼻の先である。千曲川沿いの丘陵上には神社になっている主郭、公園になっている二郭・三郭、市の建物やお店などが建つ西郭などがあり、主郭虎口は堅固な枡形石垣がある。周囲の堀は駐車場などになっていた。雨が降り出したこともあり駆け足で見学。もっとじっくり見れば見所もあったのかあ、とも思う。なんとなく消化不良なお城。

16:00

高梨氏館(長野県中野市)

これは今日の思わぬ「拾い物」。たまたま見たガイドブックで中野市が整備を進めているのを見てはいたが、素晴らしい居館跡だった。北信の豪族、高梨氏は春日山城の上杉氏、長尾氏とも関係が深く、のちに信玄に信濃を追われ、長尾景虎(上杉謙信)を頼って村上義清らとともに春日山城に逃れている。大きく見れば「川中島」の遠因になった場所の一つでもある。居館はほぼ完全な方形で、周囲の土塁、堀(これらは相当な復原・補修が行われたであろう)も見事だが、一番の見所は「庭園」と「建物跡」。庭園は残念ながら半分がビニールシートで覆われていたが、庭石などはほぼ完全に残っている。

建物は礎石建物群、掘立建物群があり、井戸や居館敷地内を流れる石敷き水路などがほぼ完全に残っている。僕の実家に近い新潟県の「江上館」や今回の旅で見た真田氏の「お屋敷」なども良かったが、ここはそれらの居館に匹敵する素晴らしい遺構。なお東方の山上には詰め城である「鴨ヶ嶽城」があるというが、日没近かったことと小雨が降っていたことから今後のお楽しみとする。庭園も全部見たいなあ。。。

17:30 福島正則屋敷(長野県上高井郡高山村)
徳川幕府の豊臣恩顧の外様西国大名いじめで最も割を食った男の一人、福島正則の晩年の屋敷跡。安芸一国の太守から信州の山間の四万五千石の地に配流同然の身となった正則。どんな晩年を過ごしたのか・・・。がしかし!結局迷走の挙句場所がわからないまま日没タイムアウトとなった。雨もやや激しくなってきた。これも今後のお楽しみにしとこう。
20:50 おまけ:雨宮の渡し再び

やっぱり夜に見たい!と思い再び雨宮の渡しへ。はっきり言って真っ暗である。住宅地の中でフラッシュ撮影をしている自分は完璧な不審者。この後、鉄馬に乗って鞭声粛々と松代大橋を渡り、お土産屋でお買い物。

21:30 今夜で最後の善光寺平本陣へ。

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