攻城日記

<<信濃城攻め紀行:5日目>>

僕の勤務先の某社では、勤続10年で「長期勤続者特別休暇」(7日間、軍資金付き)が貰えるのです!こんな会社でも10年も働いてればいいことあるんだね〜。で、念願の信濃への城廻りの旅に行ってきました。ここではその模様を簡単にご紹介します。善光寺平に本陣を移しての5日目は、その善光寺平を見下ろす山城を攻める。川中島の決戦の「脇役」のお城たちです。
見学先 旭山城葛山城大峰城、横山城、善光寺
見学日 2002年11月07日(木)

 

08:30 本陣の善光寺平を出発。平日の出勤時間帯とあって街は急ぎ足の人波が続く。こんな時に山城めぐりができるのは休暇のたまものだ。今日めざすは今回の旅の目玉の一つ、「旭山城」「葛山城」「大峰城(これはおまけ)」の山城群。
09:00

旭山城(長野県長野市)

登り口がわからず迷走、長野市の観光課にTELすると懇切丁寧に教えてくれた。感謝。山の中腹、「旭山観音堂」付近まで車で行ける。旭山観音はもともとは安茂里方面にあったらしい。第二回川中島合戦の主役の城。石塁で囲まれた主郭を中心に大規模な堀切&竪堀や沢山の曲輪群が並ぶ。一時的な陣城のように考えていたがかなり本格的な山城だった。突端部からは川中島が一望に見下ろせる。旭山観音堂方面からの登山路は整備されており安心して見学できる。登山路はかつて複数あったらしいが安茂里方面からの道は崩落していて通行禁止らしい。この登山口周囲は結構な高地だが、こんなとこまで林檎畑やレタス畑になっていてちょっと驚き。結局二時間半近く見学した。満足満足。

11:50

 

 

葛山城(長野県長野市)

その旭山城の機能を封殺するために謙信が築いたとされる付け城。こちらも中腹の「静松寺」付近まで車で行ける。静松寺は深い山の中にあり、まるで山岳寺院のようだ。まず「頼朝山」の出城へ向かい、一度鞍部に降りてから本城へ向かう。山道はよく整備されいているものの登りが結構キツイ。距離もそれなりに長い。指呼の間に旭山城が見えている。

こちらは石塁は無いものの、三方の尾根筋に大規模な堀切が連続し、連続畝状阻塞も見られる。突端部は展望台になっており、旭山城と同じく善光寺平や川中島を一望に見下ろす。こちらも単なる付け城という認識を改めさせられる本格山城だった。二時間半近く徘徊し大満足。

14:20

 

 

大峰城(長野県長野市)

善光寺の真裏に聳える山城。歴史的にはイマイチ不明だが、旭山城に対する上杉軍の付け城のひとつらしい。「付け城合戦」ということか。長野市の市街地からもの凄く急なつづら折の坂を車で登る。山上には「大峰城チョウと自然の博物館」というとってもアヤシイ模擬天守が建つが入館料が250円もするので入るのはやめた。この天守、山自体の比高差がありすぎて麓からではほとんど見えない。あまり意味のない天守である。怪しい模擬天守の背後には何重にも堀切が走っている。堀切は規模が大きく、竪堀となって山腹を降りている。こっちは見ごたえがある。善光寺平が眼下に拡がる。下山後遅い昼食を摂った。

16:10

 

横山城、善光寺(長野県長野市)

善光寺の横、「城山公園」周辺の神社や市の施設がある小丘陵。善光寺が持っているお城。戦国期には善光寺と一体化した施設だっただろう。第四回川中島の決戦では、上杉謙信は善光寺に輜重部隊を残している。それらの部隊の陣所でもあったであろう。わずかの土塁と数段の曲輪、道路になっている堀切跡などが見られる。なによりも善光寺を参拝しつつ、背後に旭山城、葛山城、大峰城が聳える姿を見ることができる、というとってもお得なお城。善光寺参拝はちょっと観光モード。「大伽藍」ってこういうことを言うんだろうな、というお寺。川中島の争奪戦でも政治的、軍事的に大きな役割を持っていた場所でもある。門前町にはお土産屋がずらりと並び、たくさんの参拝客で賑わっていた。旭山城の向こうに、陽が落ちていった。

17:00 今日はあまり無理せずまだ明るいうちに見学終了、善光寺平の本陣へ。結局、今日は丸一日、善光寺の裏山あたりを徘徊していた。

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