攻城日記
<<多摩西部の山城を歩く>>
07:00 | 自宅発、首都高湾岸線浦安ICから高速へ。寒い! |
08:50 八王子城
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中央高速経由、ナビに従って無事着。前回は気付かなかったが、ここに来るまでに屋敷跡、出城と想像される地形がいくつかあった。今日の最大の目標は四段石塁と詰の城。できれば太鼓曲輪も見たいところ。 |
09:00 |
公園入り口でパンフレットを入手する。 とりあえずアシダ曲輪へ。曲輪は三段の傾斜地で、削平地と土塁が残る。土塁はかつては石垣で固められていたかもしれない。 観音堂のそばにはボランティアの詰め小屋がある。ここで各遺構への道を聞く。さすが地元、パンフレットに載っていない遺構や道も詳しく教えてくれる。ここで「上の道」経由で御主殿へのルート、御主殿から要害へのルートを聞く。太鼓曲輪へのルートは残念ながら無いことも判明。 上の道は大手道とは城山川を挟んだ北岸にあり、アシダ曲輪から直接御主殿に通じている。藪化して判然とはしないものの堀らしき跡も見える。 御主殿着。まだ誰もいない。青空に映えて紅葉が美しい。御主殿付近は八王子城の最大の見所の一つ。御主殿は発掘整備されていて、礎石らしい石も見える。城山川に架かる模擬橋(曳き橋)や虎口付近の石垣などは一部を除いて復原だが、荒々しい野面積みの石垣は迫力がある。他の北条系城郭には見られない荒々しさだ。安土城をはじめとした織豊系の城郭の影響が多分にあるのだろう。ここだけ見ても、八王子城の壮大さが窺い知れる。 御主殿から城山川に降りて「御主殿の滝」へ。ここは落城時に多くの婦女子が投身して命を絶ったという場所だ。慰霊塔には今でも新しい花が供えられていた。神妙に見学する。しかし、それなりの高さはあるものの、集団で投身自殺するには少し高さも広さも足りない気がする。おそらく、何人かはここで命を絶ったのであろうが・・・ 前回は気付かなかったが、滝の上部の岸は石垣で固められていた。滝の上部には石組みの水汲み場も残っている。 前回はほとんど水が無かったが、今回は水量も多く、スローシャッターなどを使って、我ながらいい写真になった。 |
9:50 |
いよいよ要害へ。ここからは登山だ。前回は公園から「新道」と呼ばれる、整備された登山道を登ったが、今回は「四段石塁」を見たい一心で、さっき聞いたばかりの別ルートを取る。勝手に「御主殿ルート」と名づける。 御主殿ルートの狭く険しい道を10分ほど登ると、最初の石塁が見えてきた。いかにも古色溢れる石垣だ。石塁は高さは1mから2mのものが複数の段になっている。そのまま登ると程なく第二、第三の石塁群が見えてくる。石塁の高さは上に行くほど大きくなるが、曲輪や虎口にあたるものは見られない。さらに登ると今度は第四の石塁群と明らかに曲輪の跡と思われる削平地が見えてくる。この石垣には虎口状の形も見える。どうもこの曲輪は山腹の城主隠れ家のひとつらしい。曲輪の真中には直径1mほどのテーブル上の大きな石がある。城主・北条氏照が憩いを取ったという伝承のある石だ。ここで僕も小休止。気分は氏照。 小休止の後、さらに登る。不思議と辛くない。前回は息も絶え絶えに登っていたことを考えると、自分の体が慣れてきたことを実感する。 やがて、山腹にせり出すような半島状の曲輪と、大きな塔が見えてくる。ここは山王丸といわれる曲輪だ。おそらく、御主殿上部の守りを固めるとともに、見張台、狼煙台などの役割を持っていたと思われる。大きな塔は大正時代に建てられた慰霊塔だった。よくもまあこんな山の中にこれほど大きな塔を建てたものだ。 ここからは山腹を横に移動して、新道へ向かう。 |
10:15 |
新道に合流。ここは八合目にあたる場所で、「柵門台」と言われる曲輪だ。たしかに尾根上の大手道と山王丸からの道、東方向への尾根道が合流する要衝で、何らかの門があったことだろう。 ここからの登りは、所々に石垣が見られるようになる。九合目「高丸」も柵門台」と同じく複数の道が工作する要衝だ。大手道はここで大きくヘアピン状に曲がって尾根筋に出る。ヘアピンのイン側は曲線状の石垣で固められている。 ここからは山頂まであと一歩だ。 |
10:25 |
山頂付近、八王子神社前でボランティアのオジサンに会う。オジサンの案内で中の丸の建物の柱穴、神社横の井戸、松木曲輪下の上屋敷跡など、貴重な情報を沢山頂く。予想以上に様々な遺構に出会うことができた。オジサンに感謝。 中の丸の柱穴からさらに登り、小宮曲輪へ。ここは神社跡があり、狛犬が残っている。いわゆる三ノ丸に相当し、八王子城の攻防では最初にここが陥落し、一気に城全体が陥ちたらしい。ここからさらに尾根伝いに歩くと本丸跡に出る。本丸はほぼ円形の小さな曲輪で、やはり神社が建っていた。眺望は全く効かない。なんとなく陰気な雰囲気の漂う曲輪だ。ピクニックの人は松木曲輪まで出、殆どの人はここまでこない。八王子城を見学する際は、是非訪れてみるといい。激しい攻防戦が嘘のように、静まっている。 ふたたび松木曲輪の八王子神社付近へ。ここは展望台になっていて、天気がよければ都内から相模湾、場所によっては新宿のビル街や遠く筑波山まで見渡せる絶景の地だ。この日は少しガスっていて、それほど眺望が効かなかった。 松木曲輪の下には重臣屋敷跡があり、石垣が顕著に残っている。もしかしたら積み直しているのかも知れない。無名曲輪のトイレ前からブッシュに突入。急坂をずり落ちると、先ほど聞いた城主の隠し居館跡に出る。しかし、曲輪は狭くしかもかなりの傾斜があり、ここにホントに館があったかどうかは疑問も残る。しかし、オジサンに教えてもらわなかったら絶対に気付かなかった場所だ。感謝。 |
11:20 |
さてここからもうひと踏ん張りして詰城へ向かう。井戸は一時期、水が涸れた時期もあったが今では手押しポンプがついていて、冷たい水を飲むことができる。この井戸跡の先の道の下には二段の石垣が残っていた。 やや下って三叉路に出る。ここで道を間違えてしまった。ヤケに険しい、殆ど獣道のような道を歩く。実は、詰め城に向かっているつもりが、「馬場道」に入ってしまっていた。結局、要害の周囲をぐるっと廻って「高丸」に出てしまった。しょうがなくここから出直す。しかし、馬場道はほとんど道とは呼べない。はっきり言って危険。なんでも、近年イノシシの被害が多くて、獣道や間道は極力壊している、または整備せずに自然崩壊に任せているそうだ。皆さんにはお奨めしない。 |
11:40 |
気を取り直してリトライ。「石敷き水路」を見る。水路は確かに石が敷き詰められているように見えるが、自然のものか人工のものかは不明、おそらくは自然のものであろう。 まもなく「馬冷し」に出る。ここは思わず見とれてしまうほどの大きな堀切になっている。石垣も悪くないが、こういう堀切を見ると、いかにも「中世山城」という感じがして嬉しくなる。ここからは再び尾根上の道を歩く。石塁がゴロゴロ転がっている、起伏のある道だ。この石塁は石垣と言うよりも、寄せ手の頭上から落とす石だったのではないか。斜面には大きな竪堀も見られた。 ほどなく詰の城に着く。「天主台」という碑が建っているが、ここに天守があったとは思えない。おそらく何らかの櫓があって、城の西端を守っていたか、名前のとおりの「詰め」の曲輪であったことだろう。ここから尾根は二手に分かれる。北方向には急斜面上に馬蹄状の曲輪がいくつか見える。南側尾根には八王子城最大の堀切があり、高尾山方面との尾根を分断している。この堀切の規模は絶句ものだ。高さは恐らく15m以上あるだろう。ここを見るだけでも、八王子城の尋常じゃない規模がわかろうというものだ。 戻りの道は、柵門台から金子曲輪への「新道」を取る。途中馬冷しで迷っていた人に道を教えながら下る。見所は柵門台下の石垣。新道を東に逸れた斜面上に、長さ30mにわたって石垣が見られる。当城最大の石垣遺構だ。高さは2mに満たないが、斜面に沿って扇状に詰まれている。最近まで完全な状態で残っていたが、最近の大雨で一部が崩落し、足場はあまり良くない。 |
13:00 |
金子曲輪を経て、登山道の入り口付近まで降りる。途中には多くの馬蹄段がある。以前は藪化していたが、今回はきれいに草が刈られていた。 山麓で小休止して、大手道付近へ移動する。大手門跡付近は藪化していて入ることができないが、大手道はきれいに復原整備されている。ここの紅葉はすばらしかった。で、何とか太鼓曲輪への登り口を探すが、目立った沢も無く、潅木が一面に覆い繁っていて、とても歩けない。ここで太鼓曲輪は完全に断念する。 造形大学跡地からバス停付近を探索。ここは根小屋地区である。造形大はすでに移転してここには無いが、遺構はかなり破壊されたらしい。「下の道」を探すがイマイチ場所がわからない。沢を人工的に加工した堀らしき地形が残っていた。 |
13:40 |
「八王子城歴史資料館」に入る。ここはご主人が自宅を利用して個人で経営しているそうだ。部屋には出土品や武具がところ狭しとならんでいるが、中でもご主人の祖先が着用していた鎧、北条氏照が滝山城時代に着用していた鉄製兜は超貴重だ。ご主人の話では、ご主人を始めとして今でも当時の家臣の末裔がこの地域に多く住んでいたり、他の地に移転した末裔の方が城址を見学に来たりしているそうだ。 |
14:20 |
ここから氏照の墓所に向かう。墓所は石段を登りつめた小丘の頂にあった。周囲は竹林になっているが、ここは当時、宋閑寺の境内、下級武士の館跡だったそうで、多くの削平地が見られた。なお、宋閑寺は現在はバス通り沿いに移転している。 駐車場に戻る途中、野ウサギの群れに出会う。チョ〜かわいい!年甲斐も無く抱きしめたくなったが、さすがに近寄ったらヒョコヒョコ逃げていった。 太鼓曲輪、西川信濃守屋敷など、いくつかの遺構を逃したものの、予想以上に多くの遺構を見学できて満足度大。時計はもう15:00。なんと6時間もかけての見学となってしまった。 |
15:10 小田野城 |
予定していた滝山城には日没の恐れがあったため今回はパス。可能な限り周囲の支城を見ることにする。 高尾街道を北に2kmほど走るとトンネルがある。ここは八王子城の支城、小田野城跡だ。城と言っても、トンネルのある丘はとても要害にはほど遠い地形で、むしろ砦に近いものだっただろう。八王子落城時には未完成のままうち捨てられ、全兵力が八王子城に集結されたと言う。 しかしこの城、史跡指定されている割には見学路が無い。トンネル横を登って強引に見学しようとしたが、フェンスが張られていて入れない。「フン、どうせ小城だし。」などと、ブドウが獲れなかった狐みたいな言い訳をしながら撤退。見学は諦めて、次へ向かうことに。 |
16:00 片倉城 |
次、と言っても日没間近。ここはいちかばちか、片倉城に向かう。市中心部の渋滞が心配だったが、なんとかぎりぎり日没前に到着。国道16号沿いの「片倉城址」バス停付近に公園があるが、入り口が目立たない。スピードを出しすぎて思わず見落とし、Uターンする。駐車場はあるにはあるが数台しか停められない。さっそく駆け足で見学。 想像以上に大きな城であったらしい。丘は小丘というよりも山に近く、崖も急峻だ。時間が無いので小走りで息を切らしながら登ると二ノ曲輪に出た。広大な芝生公園だ。この芝生の西側には畑があるが、ここが三ノ曲輪。間には彫り跡らしい地形も見える。この曲輪も想像以上の広さ。いったい、ここはどういう城だったのか? 本丸は逆に小ぢんまりしている。本丸と二ノ丸の間の堀は殆ど埋まっているが、一応木橋が架かっている。埋まって浅くはなっているものの、横矢の折れははっきり確認できた。堀はそのまま断崖の谷に繋がっていたようだ。 神社付近は腰曲輪か。 |
16:30 |
ここで日没、見学終了。 八王子ICから帰路に向かった。 やっぱり今日は、八王子城に尽きる。 |
経費精算 |
首都高速 \700×2 中央高速 \600×2 八王子歴史資料館 \350 昼食 抜き お賽銭 弱冠 飲み物代 \300円 ________________ 計 \3,250- |