攻城日記

<<甲相国境の山城を歩く>>

見学先 津久井城岩殿城
見学日 2001年12月02日

 

07:30 自宅発。高速一之江ICより首都高へ。目立った渋滞も無いようだ。
08:50 王子ICで降りて八王子有料経由、津久井城をめざす。城山町のはずれで目の前に三つのコブを持った、目立つ山が現れる。あれだ。あれに違いない、と確信。
09:00

 

ダム湖のほとり、津久井城山公園の駐車場に車を停める。しかし、これほど市街地に近いとは思わなかった。もっとエライ山の中かと思っていたが、こんなに市街地のすぐそばにダムがあるなんて見たこと無い。お土産屋兼観光案内所に立ち寄り、登山道のマップを貰う。なかなかいい資料だ。皆さんも行く前にここでマップを貰いましょう。

登山道入り口には石垣がいくつかある。が、これは公園整備の際につくられた模擬石垣だ。よくできてはいるのだが・・・・
登山道はところどころ急斜面もあるが、全体的には山の周囲をなだらかに登っていくルートだ。距離は長いが歩きやすい。目立つのは沢を利用した竪堀が何本も見られる事だ。この後、山上の遺構もすべて見終わって分かったことは、この城の特徴は防備の主体が竪堀だということだ。で、写真を撮ろうとするのだが、概ね山林化しているためいい写真がなかなか撮れない。竪堀はやっぱり難しい。

09:30

 

 

「宝ヶ池」に出る。位置的には飯縄曲輪の下の帯曲輪にあたる。水が涸れたことのないと言うこの池は、城方にとってはまさに「宝」だっただろう。うんうん。
主要部へ行く前に「鷹射場」へ向かう。途中、宝ヶ池のすぐ下で堀切を発見。鷹射場へ向かうなだらかな尾根を断ち切っていた。鷹射場は東南方向の物見、狼煙台だっただろう。ここからは相模川流域、相模原市や橋本、町田の市街地が良く見える。「津久井衆」と呼ばれた家臣団統率の拠点だったこの城の存在意義がよくわかる景色だ。

09:50

 

飯縄曲輪周辺は複数の削平地と土塁らしきものが残り、それなりに複雑な防御を成していた。頂部には飯縄神社が鎮座している。ボーイスカウトの連中が訓練をしていた。僕も20年近く前はスカウトだったので、懐かしく見る。
太鼓曲輪、本城へ向かう。太鼓曲輪手前には、明らかな堀切が残る。今では複数の登山道の合流点になっていて、堀底と気付かないかもしれないが、往時はそれなりの規模であっただろう。
太鼓曲輪は藪化していて、わずかの削平地のほかはこれといった遺構は見られない。ここで道を逸れて、太鼓曲輪南側の「家老屋敷」を探す。屋敷のあった曲輪は太鼓曲輪より20mほど下った南面で、道も表中も無いがすぐに見つかった。ここでの見どころはわずかに残る石垣。二段削平の中間の斜面に幅2m、高さ1.5mほどの小規模のものではあるが、明瞭に残っている。その周囲には石垣に使われている石と同一サイズの石が散乱していて、上部の斜面を見ると切崖状の地形も見られることから、かつて石垣が取り巻いていたが、崩落したものと推定する。しかし、もとの道に戻るのはなかなか大変だった。
本城に向かう道にはさらに堀切があった。ここは「曳き橋」と名づけられていて「空堀」の標柱もある。今はかなり埋まっているが、おそらく最大規模の堀切があって、平時は曳き橋で繋いでいたのだろう。またこの堀切は尾根の両側の斜面に竪堀となって繋がっている。

10:15

本城に向かう道にはさらに堀切があった。ここは「曳き橋」と名づけられていて「空堀」の標柱もある。今はかなり埋まっているが、おそらく最大規模の堀切があって、平時は曳き橋で繋いでいたのだろう。またこの堀切は尾根の両側の斜面に竪堀となって繋がっている。
本城は三段の削平地。「く」の字型の土塁に防御されているのが本曲輪だ。土塁上には江戸中期に建てられたと言う「筑井古城」の石碑が建つ。曲輪は広くは無い。眺望も効かない。本曲輪周囲の腰曲輪からは、根小屋方面、三増峠方面が見渡せる。
帰りは北西の「女坂」ルートを取る。途中、曲輪跡があったが竪堀以外には遺構らしいものは見つからなかった。
全体に竪堀主体の城であるだけに、土塁や堀切等は目立たない。悪くは無いが物足りない気もする。

11:20 三増峠に向かう。途中、根小屋地区を通る。一応迂回して城主館跡などがないか探ってみるが、判別できなかった。三増峠は里に近い峠で標高こそ低いが、山並みが連なっていて地図で見るよりも険しい山岳地帯だった。ここで甲斐に撤退する武田軍と北条氏照・氏邦軍が激突し、日本初(?)の大規模山岳戦が展開された。結果は武田軍の勝利であったが、2000に近い塀を失い、甲斐に撤退している。結局この年の小田原侵攻では、滝山城も本城の小田原も陥とせず、兵ばかり損ねたわけで、実質的には北条の勝利でしょう。

しかし信玄の本陣はいまは東名厚木CC内にあるため容易には見られず。愛川町にあるという古戦場の石碑も結局場所がわからなかった。まあ、三増峠という場所がどんなところだったのかはよく分かったので良しとしよう。
12:00 相模湖ICから大月ICに向かう。途中、相模湖ICまでの間にすさまじく運転のヘタな車に行く手を阻まれ20分ほどロスする。得意・不得意は誰にでもあるだろうが、あれくらいヘタクソな人は峠道には来るべきじゃないと思った。とにかく追突しないよう、冷や冷やしながら走る。
12:40 中央高速、大月IC付近。目的地の岩殿城は、大岩盤の上に築かれた山城だ。その「鏡岩」と呼ばれる岩盤は中央高速からも見上げることができる。とにかく、自然は時として凄まじいまでの光景を作り出すものだ。そしてそれを利用してしまう人間と言う生き物も、なかなか強かな物だ。
この大岩盤はイヤでも目立ってしまうので、道に迷うことは無い。大月の駅付近からでもよく見える。それにしても、桂川(相模川)の渓谷とこの大岩盤の山は天下無双と言ってもいいほどの要害だ。加えて、甲州から相模、武蔵方面への交通の要衝ということもあり、甲州勢にとっての最重要拠点の一つであったことが容易に想像できる。
13:00 麓に駐車場があったので車を停める。駐車場といっても、桂川の渓谷にせり出すように鉄筋で組んである場所だ。ここでは平地は貴重だから、駐車場なんて普通の場所には作れないのだろう。
登り始めて10分ほどで丸山公園に出る。すでに一息入れたいほどの登りである。麓からの比高は300mに満たないが、なんといっても絶壁を迂回するようにつづら折の急坂が続き、しかも苦手なコンクリの階段である。さすがの僕も足腰に多少来るものがある。
13:15 中腹の丸山公園へ。公園は大岩盤の真下にある。模擬御殿風の「ふれあい館」が建っている。ここは詳細は不明だが、もしかしたら下屋敷や番所などがあったかもしれない。南には雪を頂いた富士山が美しい。
13:40 ここからは岩盤の横をひたすら登る厳しい道だ。頭上から覆い被さるようにせり出す岩盤は迫力満点だ。
最初の明瞭な遺構「揚城戸」が見えてくる。直系10m前後の岩の間に、1mばかりの通路がある。ここにがその名の通り、「揚門」があった。ここを突破しない限りは上にはいけないが、周りは全て断崖絶壁。この城戸を抜くのは容易ではないだろう。城戸を抜けると物見の台がある。
ここからやや登った場所が兵舎や馬場、南物見などがあった岩殿城で一番広い曲輪跡になる。平坦ではないが意外なほどの広い敷地がある。ここから眺める富士山、見下ろす桂川の渓谷と大月の町は絶景。とくに眼下の桂川と中央高速は、まさに絶壁からの眺め。

ここからやや下ったところに亀ヶ池、馬洗い池のふたつの池がある。この城の貴重な水源だが、こんな岩山の山頂近くに水の手があるのは不思議な気がする。

14:00 やや登って本丸跡に着く。本丸跡にはNHKなどのアンテナが林立する。木々に遮られて眺望は全く無い。本丸の一角には烽火台がある。昔は烽火、今は電波の烽火台だ。が、その烽火台、どこぞのオヤジが飯食ったまま寝ている。こら!ここは見学者の来る史跡だ!写真の邪魔だから片付けてどっか行け!
本丸の東側にはふたつの堀切がある。いずれも埋まっていて深さはさほどでもない。堀切は竪堀になって山腹の断崖に繋がっている。絵図によれば堀切の東が帯曲輪、堀切の間が東物見らしいが、いずれも曲輪と呼ぶほどの曲輪じゃない。物見といってもこの山全体が物見みたいなものだし、堀切があっても無くても、この城の堅固さは変わらない、それくらいの天然の要害だ。おそらく力攻めで落城させるのは無理じゃないかと思わせるものがある。
帰りは東麓の円通寺跡方面へ抜ける。途中、七社権現の洞窟に立ち寄る。奥行きは無いものの開口部はとてつもなく大きい。改めて自然の脅威を感じる。
15:30 今日の城攻めはこれにて終了。帰り道、名勝猿橋に立ち寄る。深い渓谷を跨ぐ、日本三大奇橋に数えられる橋だ。いわゆる橋脚はなく、両岸から何本もの「腕」が突き出ていて、その上に橋げたが乗っかっている。その「腕」のひとつひとつに屋根がかかっている。まことに不思議な形だ。ちなみにこれは昭和59年の再建。
この猿橋公園で心温まる光景。二人の幼い姉妹が遊んでいて、通り過ぎる人たちに「はいっ」とイチョウの葉をあげていた。僕も貰った。「ありがとう。バイバイ。」と手を振ると、嬉しそうに手を振り返してくれた。晩秋の、なんとも心温まる情景だった。

 

経費精算

首都高速(一之江-高井戸)  \700

八王子有料道路        \200

中央高速(相模湖-大月)   \900

中央高速(大月-高井戸)   \2,900

首都高速(高井戸-浦安)    \700

昼食                \890

お賽銭               弱冠

飲み物代              \300

_________________

計               \6,590-

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