丸子城めぐり

その1

中世城郭としては完璧と言えるほどの状態。

技巧面でも注目すべき点が非常に多い。

あまりに遺構が完璧すぎてどこから紹介していいものやら。

久々に写真もフラッシュメモリ一杯に撮ったし。

ほんとは整理に数日欲しいところだが、

上田君との約束もあるのですぐに公開しましょう。

上田、行きたくなったらまた声掛けてくれ。

 

まずは丸子宿の街並み。古い街道の雰囲気を色濃く残す丸子の街はそれだけでも一見の価値あり。急峻な見学路の両側はミカン畑なので、いつものように脇道に突入!というわけにはいかないです。 急峻な道を約15分、えっちらおっちら登ると、最初に現れるのが「外城」。その名のとおり、外曲輪にあたるところでしょう。丸子稲荷神社の奥宮が建っています。この手前には「空堀」(竪堀)の表示がありましたが、ここは藪化していてよくわかりませんでした。
外曲輪から先は比較的歩きやすい尾根道です。大手の「大手曲輪」には写真のとおり、大きな三日月堀があります。この写真の奥に土橋があり、大手曲輪に通じます。 三日月堀を越えると大手曲輪。案内では「東の曲輪」となっていますが、三日月堀とセットで木戸口前を固める馬出しでしょう。武田氏系馬出しには珍しい角馬出しで、土塁で防御されています。
木戸口の土塁。三日月堀と馬出しに守られ、さらに土塁で防御を固めています。 木戸口から北曲輪までは馬蹄段状の小曲輪が連続します。馬蹄段の一つ一つまでが土塁で囲まれているのは珍しい気がします。
北曲輪は、今川氏時代の本丸。そう、ここが龍王丸と北川殿のいた時代の丸子城中核部です。本丸とは言っても小さな曲輪ですが、なんか感動しました。 その北曲輪の土塁。さすがにかつての本丸だけあって、ここまでの小規模な曲輪とは貫禄が違います。ここまで見てきた外曲輪〜北曲輪あたりまでが今川氏時代の丸子城になります。
北曲輪の北側尾根を断ち切る大堀切。手持ちの概念図ではこの堀あたりまでが城域とされていますが、尾根続きにもなにかあるのではないでしょうか? 本丸方面へ行く前に、武者走りの通路を歩いてみると、多くの竪堀を見ることができました。竪堀は一つ一つ紹介する余裕がないほど沢山見られます。
南側の尾根筋には、これも定石通りの馬蹄段(案内標示では「出曲輪」)が連続しています。 大鈩出曲輪。名前の由来はよく分かりませんが、実質的には三日月堀を伴った馬出しです。捨曲輪の表示もありますが、捨曲輪ではないでしょう。

大鈩曲輪さきの竪堀。この竪堀は三日月堀に連結されています。

大鈩曲輪を取り巻く見事な三日月堀。この三日月堀はさらに堀切、西大空堀、長大竪堀と繋がっていて、非常に複雑な地形を見せています。

本丸方面と大鈩曲輪を断ち切る大きな堀切。 これは圧巻!100m以上にも及ぶ長大竪堀。麓まで一直線に伸びています。こんな凄い竪堀は、他では岩櫃城くらいでしか見たことがありません。

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