山内一豊ですか。一豊って言えば、すぐ引き合いに出てくるのが良妻・千代ちゃんですな。例の「へそくりで馬」のエピソードをはじめ、よく出来た奥さんだとは思うけど、司馬遼太郎の小説みたいな奥さんだったら、頭良すぎて疲れそう。まあ大体からして、いくら奥さんの頭が良くてもそれだけじゃ「生き馬の目を抜く」戦国時代を生き残って、掛川五万石、土佐二十四万石の大名にはなれませんね。やっぱり、当たり前ですが本人の努力とか、人柄とか、大名として相応しい人間であることが最低条件ですからね。一豊のダンナは律義者として評価されていたようで、そういう人格が秀吉やのちの家康の目にも留まったんでしょうね。最終的に一豊は土佐二十四万石の太守に出世します。なんだか千代ちゃんのお陰だけで城が建ったように思われちゃうのは、一豊ダンナにとっても心外でしょうから、余計なお世話ですが一応フォローしておきます。
ともあれ掛川城ですが、現存遺構の見どころは二ノ丸御殿。堂々と聳え立つ天守は復元ですが、本物志向の現在、すべて木造で、一豊築城当時の技巧で建てられているらしいです。まあ綺麗なお城ですし、再建にあたっては地元の熱い思いや努力が実って今の姿があるということですが、ちょっとあっさりしすぎて、中世城郭ファンには物足りないかも知れません。そんな人は近くの天王山にも寄ってみましょう。よくわからんが何故か家光廟などもあるのですが、ここは一豊入封前、今川家臣の朝比奈氏時代の古掛川城の遺構だそうで、見事な空堀が残っています。家康が落ち目の「馬鹿殿様」今川氏真をイジメにやってきたときの本陣でもあります。結局今川氏は北条を頼って落ち延び、名門今川氏の歴史に幕を閉じてしまいました。そういう意味じゃ、今川氏の最後の場所でもあるわけですね。
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城下から見上げる掛川城。なんやかんや言っても、結構絵になってます。逆川を外堀とした典型的な近世城郭です。 |
掛川駅前に復興された大手門と番所。すごく立派です。お土産店もあって、ちょっとした観光地。 |
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やっぱ一豊っていうとコレなんですかね?「ねぇ〜馬買っちゃったら?」「うちそんな余裕ないだろ」「ジャ〜ン♪ヘソクリ!」。ほのぼの山内家。 |
二ノ丸御殿車寄せ。御殿は全国的にも貴重な遺構です。 |
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御殿内の書院。立派な「虎」の掛軸は太田氏家老の太田資逢の筆。廃藩置県まで続いた城主の太田氏はもちろん道灌の直系子孫。たくましく近世を生き残ってたのねん。 |
二ノ丸御殿から見上げる天守。どうも病的な中世城郭マニアになると、つい復興天守をけなしてみたりするのですが、これは総木造、極力山内一豊当時の外観と建築技術を用いたという本格派。小ぶりですがスマートでなかなかカッコイイです。 |
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二ノ丸御殿の横には誰も見向きもしないであろう土塁が。僕はこっちの方が好きですけどね。 |
二ノ丸台所の大井戸。 |
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本丸前の三日月堀。武田氏のように馬出しを伴うものではなく、たまたま地形の関係でこうなっちゃっただけでしょう。 |
こちらは十露盤堀と太鼓櫓、復原本丸御門。太鼓櫓は現存です。十露盤堀はこの堀底の形状がソロバンに似ていることからそう呼ばれたとか。 |
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本丸天守曲輪の霧吹き井戸。掛川城の別名、雲霧城の由来となった井戸。今川氏真籠城時に井戸から噴出した霧で徳川の寄せ手から城を守ったという伝承。まあ、よくある話と言ってしまえばそれまでですが。 |
天守から見た掛川の街。東海道の要衝として、中世〜近世、現代まで栄えています。 |
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掛川城から程近い「天王山」にある龍華院霊屋。嗣子のない北条氏重が三代将軍・家光の霊を祀り家の存続を願ったというもの。氏重はあの小田原北条氏の一族で唯一の生き残り、氏勝の子孫。江戸中期に火災で焼け、太田資始により再建された。 |
この龍華院のある天王山は、朝比奈備中守泰煕が今川義忠の命で築いた古・掛川城であるといわれ、また家康が風前の灯の今川氏真を激しく攻め立てた時の本陣でもあります。このように見事な堀切が残ります。 |