あやめの咲く沼地に消えた城 

菖蒲城

しょうぶじょう Shoubu-Jo

別名:

埼玉県南埼玉郡菖蒲町新堀

城の種別

平城(沼城)

築城時期

康正二(1456)年 

築城者

金田式部則綱(古河公方・足利成氏臣)

主要城主

金田氏

遺構

移築陣屋門

本丸跡<<2001年9月9日>>

歴史

享徳三(1454)年に勃発した関東公方・足利成氏と関東管領・上杉氏の対立(享徳の大乱)で鎌倉を追われ翌康正元(1455)年に古河に動座し古河公方を称した足利成氏が、その家臣の金田式部則綱に命じて築城させた。隣接の騎西城等とともに、上杉氏に対する防衛網として整備された。城の竣工が五月五日の菖蒲の節句に当たった為に命名されたといわれる。

大永五(1525)年3月上旬には北条氏綱が扇谷上杉朝興と戦っている。

天正二(1574)年の第三次関宿合戦では、簗田持助を助けて利根川で北条氏政と対陣した上杉謙信が、騎西城菖蒲城などの城下を焼き討ちしている。

天正十八(1590)年の小田原の役後廃城となり、以降は徳川譜代の内藤氏が栢間に陣屋を構えて5700石を知行した。

遺構は全くありません。もともと荒川と利根川に挟まれた低湿地帯の微高地に築かれた城だったようですが、近年の農地造成で沼も微高地もすべて平らに均されてしまい、すべてが無くなってしまいました。今では城址の碑と、移築の陣屋門が農地の真中にぽつんと残っているだけです。
徳川譜代の内藤氏陣屋(栢間陣屋)の門と伝えられる移築陣屋門。 見渡す限りの農地にぽつんと残る城址。周囲は菖蒲園になっている。

 

 

交通アクセス

東北自動車道「久喜」IC車10分。

周辺地情報

近くはないが忍城。見どころはほとんどないが騎西城

関連サイト

 

 
参考文献 「日本城郭大系」(新人物往来社)、「真説戦国北条五代」(学研「戦国群像シリーズ」)、「中世の城館跡」(埼玉県立歴史資料館)

参考サイト

菖蒲町ホームページ埼玉の古城址

 

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