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いい撮影ポイントが見つからずイマイチな写真の遠景。丘陵の直下を嵐山渓谷が蛇行しています。このお城はこの渓谷沿いの街道監視のためのものではないでしょうか。 |
最初に来た日はこんな残雪模様だったのです。一応主要部は見ましたが出丸はパスしました。でも、実は出丸附近が一番スゴかったりする・・・! |
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尾根続きの西側からの侵入路は高い塁壁で遮られていますが、堀切等は無いようです。この方面が一番の弱点の筈なのになあ。。。 |
塁壁を迂回する登城路。二郭の西、一段低い曲輪に入る虎口です。虎口の先は土塁と塁壁に挟まれて、堀底道のようです。 |
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二郭の南、比較的大きい腰曲輪に入る虎口。土塁があり、ここに木戸があったでしょう。 |
左写真の右手斜面下に伸びる竪堀と竪土塁。ここも非常に技巧的で見ごたえがあります。 |
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二郭の南側には沢山の腰曲輪があります。家臣団の集住地だったのでしょうか。 |
この腰曲輪附近の土塁に、すでにわずかながら石積みの断片が見られます。 |
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二郭の西側に長く伸びる横堀。折れもあります。写真では分かりづらいですが、岩盤をかち割って掘られています。 |
二郭と主郭を分断する大堀切。ここから見る主郭の塁壁は非常に威圧感があります。 |
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二郭の曲輪内部。周囲には土塁が取り巻いており、塁壁には横矢がかかっています。 |
二郭に転がっていた小倉城の城址碑。主郭にはもっと立派な城址碑が建っています。 |
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二郭の土塁。土塁は堀切に面した東側以外をほぼ囲っており、先端は高く櫓台のようになっています。 |
二郭東端の櫓台。前述の横堀を見下ろし、しっかり横矢もかかっています。尾根続きを監視する防御の要ですね。 |
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大堀切の南側の塁壁には高さ1mほどの石積みがあります。 |
主郭の南側の支尾根を断ち切る堀切。岩盤を叩き割った切通しの道も兼ねているようで、この南の出丸と主郭とは橋で繋がっていたように見えます。 |
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ここからしばらく大石積みエリアです。まず堀切西端付近の石積み、高さは1m前後です。 |
堀切西端から南を見ると、崩落していますが、長く石塁が連なっています。一部は崩落防止のため、土嚢で補強されています。 |
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出丸東南付近の石積み。このあたりは非常に高さのある石積みが続きます。 |
出丸南端附近の石積みは場所によって4-5mくらいあるでしょうか。平べったい石を使った布積みの石積みは、信濃の山城の特徴とよく似ています。 |
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出丸南端の石積みは下から見ると威圧感すら感じる高さです。関東版・中世高石垣と言っても言い過ぎではないのでは? |
出丸内部の枡形状遺構。細かい部分も技巧的です。この枡形も石積みがあったようです。 |
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主郭南側の腰曲輪から、竪堀を睨む櫓台風の石積み。 |
主郭南側塁壁の竪堀と思われる附近、多くの石材が散乱し、塁壁には石が剥落した痕跡が残ります。 |
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主郭には複数の虎口があり、どれも堅固な櫓台風の高台を伴っています。これは二郭からの直接の進入路となる主郭北西の虎口。 |
主郭と出丸を結ぶ虎口。ここにも石積みが見られます。往時はこの櫓台風の場所のほとんどを石積みで覆っていたのでは、と思います。 |
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三郭と主郭を結ぶ虎口。虎口の石積みではここが一番よく残っているでしょう。 |
左の虎口から登ると、主郭が二段に削平されて、土塁との間の堀底状の道に出ます。 |
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主郭の段差にも石積みが見られます。 |
主郭は現在、発掘作業をやっている模様。どんな遺物が出土したのでしょう。謎に包まれたこのお城のプロフィールが明らかになるといいですね! |
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ここも実にカッコイイ、三郭虎口の枡形。 |
主郭の東側に位置する三郭。丘陵先端部分からの敵、左写真の虎口を突破した敵を撃滅する、ここも防御の要です。 |
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三郭東側の大堀切。写真ではその規模が分かりませんが、上から見下ろすと非常に高さがあります。 |
左写真の堀切の東側先端部分も堀底道状の遺構が見られます。ここも通路のひとつでしょう。 |