太閤秀吉得意の奇策・一夜城 

石垣山城

いしがきやまじょう Ishigakiyama-Jo

別名:

神奈川県小田原市早川

城の種別 山城

築城時期

天正十八(1590)年

築城者

豊臣秀吉

主要城主

豊臣秀吉

遺構

曲輪跡、石垣、櫓台、天守台、井戸

井戸曲輪の石垣<<2000年11月25日>>

歴史 天正十八(1590)年の、秀吉による小田原北条氏討伐戦で、南方3kmの笠懸山山頂に築いた陣城。四月に着工し、六月二十七日に完成、小田原城に面した木を伐採させて、あたかも一夜に出現したように見せかけて、小田原勢の戦意をくじいた。小田原城は七月五日に開城し、石垣山城はその役割を終えた。

太閤秀吉得意の奇策、一夜城。この場所で、秀吉は関東の戦国時代が終わるのを見ていたんですね。陣城としては本格的な築城ですが、曲輪の数は多くはなく、堀切等も見られず、とくに防御も厳しくはない印象を受けます。やはり、敵を受けて戦う実戦の城、というよりは、小田原城籠城の将兵に「見せる城」だったからでしょうね。こういう城を作ってしまうあたり、秀吉ってのはつくづく酔狂な男だなあ、と思ってしまいます。ま、僕に言わせりゃこの小田原の役で秀吉はオシマイなんですがね(実は秀吉嫌い)。ちなみにこの石垣山城では、秀吉が家康と連れションしながら関東移封を告げた、とか、茶々をはじめ愛妾を呼びつけてエンジョイしていた、とか、千利休やらを呼びつけてのんびりと茶の湯に興じていた、とか、いかにも秀吉らしいエピソードがたくさんあります。

石垣山城は関東大震災のときにかなりの石垣が崩壊したようで、あちこちに崩れた石垣がゴロゴロしていて、考えようによっちゃ結構アブナイです。二の丸・本丸にも崩れかけた石垣はありますが、圧巻は二の丸から狭い道を降りたところにある井戸曲輪と、駐車場入り口から裏に廻ったところにある南曲輪外壁。とくに井戸曲輪は、高い石塁に囲まれた一種異様な空間で、妖気すら漂います。

カーナビの指示に従ってたら、ターンパイクに入っちゃいました。ちなみにターンパイクから一夜城には行けません。しょうがないから先に山中城まで走っちゃいました。

石垣山一夜城めぐり

 

交通アクセス

JR・小田急線「小田原」駅よりバス、または徒歩60分。

周辺地情報

小田原城とワンセットで見学したい。時間がある人は箱根を越えて山中城を見よう。

関連サイト

 

 

参考文献 「日本城郭大系」(新人物往来社)、「真説戦国北条五代」(学研「戦国群像シリーズ」)、現地解説板

参考サイト

北条五代の部屋

 

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