|
|
馬坂城の遠景。常陸太田市街地の南西に位置し、久慈川氾濫原の低地に面した細長い舌状台地にあります。 |
旧道の面影を残す狭い坂道を登ると入口の案内板が。このあたり、道が狭いので車を停める場所に少々苦労します。 |
|
|
畑の中の「字・御城」に建つ石碑と解説板。寒い朝でしたが、ここが佐竹氏の発祥の地かと思うと、血が熱くなる思いが・・・。 |
支尾根を断ち切る堀切7。まるで山城のような処置の仕方です。 |
|
|
現状では最大の堀切となる堀1。 |
西側には浅い堀を隔てて、比較的まとまった広さを持つ曲輪があります。 |
|
|
支尾根の西端にある物見台風の高まり。自然地形ではありますが、物見や戦闘の指揮には適しています。このあたりの周囲は崖です。 |
ヤブの中にボコッと突き出た櫓台「源氏塚」。古墳の再利用であるようです。 |
|
|
墓地になっている腰曲輪。鬱蒼とした山林に突如現れる墓地、なかなかゾクっと来るものがあります。 |
墓地の入口は堀切(堀2)でしょう。 |
|
|
畑になっているU曲輪「字・西城」。数段の段々がありますが、どこまで遺構なのかよく分からないところです。 |
竹薮化しているV曲輪。ここは台地先端部にあたり、攻防においては要となりそうな曲輪です。 |
|
|
V曲輪の西から南にかけて、横堀(堀3)が半周しています。このあたり、小規模ながら典型的な佐竹氏系城郭を踏襲しているといえます。 |
横堀は台地先端で竪堀となります。このあたり、通路としても用いられていたように見えます。 |
|
|
主郭の北側に畑となって残る堀7。かなり埋まっていますが、天幅は10mほどあり、往時はかなりの規模であったことが想像されます。 |
W曲輪「押葉平」は宅地化や道路でかなり改変されており、全貌はよくわかりません。 |
|
|
押葉平に残る堀8。こちらも埋められて畑になっていますが、天幅は15mほどもあり、かなりの規模の空堀であっただろうと思われます。 |
台地続きにある佐竹寺。本堂は兵火に焼けていたものを、佐竹義昭が寄進して立て替えたもの。萱葺き屋根が荘厳です。必見。 |