若き城主、天嶮の空に舞う

嵩山城

たけやまじょう Takeyama-Jo

別名:

群馬県吾妻郡中之条町嵩山

城の種別

山城

築城時期

不明(室町中期)

築城者

長尾氏?

主要城主

斎藤氏

遺構

曲輪

天嶮の山、嵩山遠景<<2001年12月15日>>

歴史

築城時期は不明。永禄六(1563)年に真田幸隆率いる武田軍の上州先方衆の急襲により岩櫃城が落城、城主の斎藤憲広、憲宗父子は越後の上杉謙信を頼って落ち延びたが、末子の城虎丸(じょうこまる)はこの嵩山城に立て籠り、中山・尻高などの支援を受けて真田勢と対峙し岩櫃城奪還の機会を伺った。

永禄八(1565)年十月、城虎丸の兄、憲宗が越後から戻り、上杉氏の援助を得て二千騎を集め岩櫃城の真田幸隆を攻撃した。しかし幸隆は憲宗に対し、信玄への取り成しと岩櫃城への帰還を条件に一旦和議を講じ、その裏で富沢但馬入道らを嵩山城に派遣して城虎丸の家臣、池田佐渡守重安を内応させることに成功する。

憲宗は池田の変心を知って大いに憤慨し、十一月十六日、五反田の台で激突、真田方は百五十、嵩山勢は二百の損害を出し、夕刻に戦闘の舞台は嵩山城に移った。翌十七日に激戦の末、嵩山城は落城した。斎藤憲宗は自刃し、城虎丸は「大天狗岩」から身を投げて自害し、斎藤氏は滅亡した(嵩山合戦)。この後廃城となり、元禄期には修験道の信仰の山として栄えた。

吾妻街道、国道353号の、中之条町に入ったあたりから、巨岩奇岩が天を突く嵩山はチラチラと姿をあらわします。遠くから見てもハッキリとその天嶮が伺える、岩櫃城に勝るとも劣らぬ姿です。
嵩山城の入り口は「嵩山館」といわれる公園になっていて、この付近から登山路があるのですが、下から見上げても相当な規模の岩山で、「ほんとにここに登るの?」と自問自答しながらも、ここまで来たからには登らぬわけにもいかん!足はすでに東登山ルートに向かっていました。

見た目に負けず厳しい登山道でなんと言っても足元が岩だらけ、その上急斜面。はっきり言って城というよりは修験道の山。肝心の遺構はあまりありません。というよりも、ここも地形が地形なだけに、大掛かりな普請は必要なかったに違いあいません。天狗岩、烏帽子岩などの突き出た岩と岩の間の鞍部にわずかな平地があり、「実城の平」と呼ばれている一帯が城域だっただろうと想像します。よって、堀切や土塁といった、分かりやすい遺構は全然ありません。まあ登山路の石垣(というか石組み)がもしかしたら遺構なのかな?という気がしないでもないですが。。。

この嵩山城の陥落は信玄にとっても幸隆にとっても非常に価値が高く、信玄は内通した敵将の池田佐渡守に感状を与えているほどです。これに先立つ岩櫃城の攻略とこの嵩山城の陥落で、一気に苦しくなったのは箕輪城の長野氏で、その翌年に落城しています。信玄、そして真田幸隆らにとって吾妻・西上州攻略のための重要拠点であったことがわかります。

城虎丸は名前からして元服前の少年であったのでしょう。この山間の天嶮の城を守りきれず、「大天狗岩」から飛び降りてその命を空に散らせたという。そんな風に考えると、夕暮れ前の美しいこの景色も、どこかもの哀しく見える気がしますね。

城下の嵩山館から見上げる大天狗岩。この天嶮の岩山から、若き城主・城虎丸は身を空に躍らせた。 登山路にはこのような怪しい石組みが多数見られますが、遺構ではなく、多分山岳信仰のための道を整備したときのものでしょう。

唯一、削平地と呼べる「実(御)城の平」。「無常の平」の字もあてられていて、その名のとおり落城によってすべてが灰燼に帰したのでしょう。

実城の平にある石仏群。嵩山合戦との関連があるかどうかは不明。

実城の平近くにある、嵩山合戦戦没者を弔う経塚。ここでは将兵だけでなく、多くの婦女子が岩山から身を投げたという。 烏帽子岩。岩の途中まで登れますが、結構スリリングです。
肝心の城らしきものはあまりなく、ところどころに「もしかして天然の堀切?」と思わせるような岩の切れ目が見えるくらいです。 岩櫃山をはるかに望む。手前の山のひとつ奥、ギザギザの稜線が見えるでしょうか?

城郭としての見所はともかく、武田信玄の、そして真田幸隆の辛く長い戦いの場所でもあるここは、武田&真田ファンにはオススメできるかもしれない。夕暮れ間近の景色が、なんともいえない無常感を感じさせてくれる場所でした。

 

交通アクセス

JR吾妻線「中之条」駅徒歩60分

関越自動車道「沼田」ICより車40分

周辺地情報

やはり岩櫃城をじっくり見ていきましょう。沼田城も見てください。 

関連サイト

 

 
参考文献 「真田戦記」(学研「戦国群像シリーズ」)、別冊歴史読本「戦国古城」(新人物往来社)、「日本城郭大系」(新人物往来社)、「群馬の古城 北毛編」(山崎一/あかぎ出版)

参考サイト

武田調略隊がゆく

埋もれた古城 表紙 上へ