箕輪城めぐり(2)

二ノ丸から東側の搦手、明屋集落方面を見る。この方面から、武田軍二万が押し寄せてきました。あいにく曇り空で見晴らしはイマイチ。 搦手道から本丸北東側の帯曲輪を見る。本丸東側は比較的緩斜面で比高差も小さいため、こうした帯曲輪や斜面下の堀で地形の弱点を補っています。
搦手口から二ノ丸方面を見上げる。意外に比高差が小さいのがわかるでしょう。 搦手附近の一段低い畑はかつての水堀の名残です。
搦手から北側、新曲輪方面に向けての堀も見事で、写真の位置では強烈な折れが見られます。 関東屈指の堅城、箕輪城の弱点であった新曲輪方面。ここが初陣の若き武田勝頼が血気に任せて力攻め、長野氏の猛将・藤井豊後守と組み討ちし、危うく首をかかれるところを、原加賀守胤元に救われました。あとでシッカリお説教されたそうです。
新曲輪周辺の堀は水堀であったらしい。今は水は無く、その地形のみが残っています。 新曲輪西端の丸馬出しと痕跡がわずかに残る三日月堀。やはり武田氏が接収してからの遺構とみるべきなんでしょうね。
御前曲輪の東の斜面下を守る稲荷曲輪も、このお城の防御の弱点を補う、重要な防衛拠点であったでしょう。 稲荷曲輪北西端の稲荷社が祀られる高台は、御前曲輪北堀方面への侵入路を遮る櫓台でした。
城域北端、いわば外郭部にあたる北堀の名残り。水堀であったようです。 外郭の北門附近の堀跡。わずかな低地となっています。道路が大きく屈曲していて、当時の「折れ」の様子がよくわかります。
南東の椿名口をしっかり守る椿山砦。道路沿いのこんもりとした丘です。道路沿いにも実に多くの削平地が見られます。 椿山砦の遺構は。。。イマイチよくわかりませんでした(^^;)
椿名口から再度入城。「椿の路」と名づけられた堀切。この附近にも多くの削平地があります。 「木俣」曲輪南側の曲輪との間を繋ぐ土橋と堀。スゴい遺構ばかり見て、見慣れてしまった気すらしますが、このあたりも十分スゴいです。
「木俣」は尾根が南にふたつに分かれる中間地点であり、城域南側の中枢です。五方向に道がわかれることからこの名前がついたようです。 木俣曲輪も数段の削平地に分かれていますが、このような石積みもみられました。
これは大堀切の北と南を繋ぐ唯一の通路である土橋。現在は発掘中で立ち入りは出来ませんでした。 この写真は発掘前の大堀切土橋。ここが通れないと、大堀切を越えるルートが無い。向こうは郭馬出。
これも発掘前の郭馬出。城域の南側から北側への土橋を通るには、必ずこの馬出しを経由しなくてはなりません。 郭馬出し周囲の堀は大堀切と繋がっています。大堀切ほどの規模はありませんが、十分素晴らしい遺構です。
「観音様口」に建つ観音堂。この一帯が水の手になります。 現在、法峯寺の寺域となっている水の手曲輪。周辺は湧水が豊富で、ホタルの繁殖地にも「なっているようです。
水の手曲輪方面から大手尾根口方面を見る。遠目にもあきらかな削平地がはっきりと。 現在民家になっている大手(丸戸張)からの虎口である大手尾根口。
城域の南側、現在小学校の建つあたりがかつての椿名沼。南方も湿地で守られていました。 時間と交通手段があれば、鷹留城下の長野氏菩提寺、長念寺の長野氏累代の墓所にも訪れてみてください。

箕輪城めぐり(1)

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