安房四氏、最後の抵抗

大井城

おおいじょう Ooi-Jo

別名:

千葉県館山市大井

 

 

城の種別 平山城

築城時期

康平六(1063)年

築城者

大井氏

主要城主

大井氏、丸氏

遺構

曲輪、堀切、土橋、土塁、削崖等

大井城遠景<<2003年10月11日>>

歴史

天喜四(1056)4年)から康平六(1063)年にかけての「前九年の役」において源頼義、義家に従った大井太郎の居城と伝わるが確証は無い。

戦国期には丸城主・丸氏の一族である大井(安東)氏の居城となり、里見義通卒去(永正十五年・1518年)の頃、神余氏、丸氏らの安房の在地土豪の末裔や旧臣が立て籠もって里見氏に背いたものを、正木時綱が討伐し、時綱はその功によって長狭郡および三原郷・正木郷を与えられて山之城城に住したという。大井城はこの後廃城となったという。

大井城はこの地方、南房総には大変珍しい、直線連郭式の縄張りを持っているお城です。この地方のお城といえば、痩せ尾根地形を小規模な堀切や削崖で区切った山城や、台地端・独立丘を利用した単郭あるいは多郭雑形の、ごく単純な縄張りを持っているものがほとんどで、近世城郭である館山城さえそのパターンなのですが、この大井城は技法そのものはシンプルながらも非常にまとまった構造を持つ、出色のお城です。下総あたりでは千葉氏系のお城にこうした構造が珍しくない(というかほとんどこのパターン)なのですが、上総中部以南では三直城くらいしか思いつきません。

伝えられる城歴としては、里見義通・義豊の代に神余氏・丸氏らの「安房四氏」の末裔や残党が立て籠もって里見氏に抵抗し、正木時綱がこれを平定、永正十五(1518)年ごろに廃城になった、というのですが、戦国前期に廃城になったとはちょっと考えられません。一時期廃城になったこともあるかもしれませんが、戦国後期に改修されて利用されていたもの、と捉えるほうが自然だと感じました。考えられる事態としては、義康の代に岡本城から館山城に本拠を移すにあたって一時利用された、あるいはやはり義康の代に上総を没収され、上総系家臣団を安房に退去させて知行替えを行った際に再度取り立てられた、などが考えられるかと思います。立地的には安房の西部と東部を分ける「加茂坂」の西側に位置していて、館山平野と丸郷の両方に至近距離で到達できる、なかなかいい場所にあります。難を言えば、河川や海といった、里見氏を支える「水運」との接点が無いところで、その点では里見氏当主の居城としてはあまり相応しくない、とも考えられます。

大井城は国道128号のすぐ傍にあり、ちょっと入口がわかりにくいながらも、東南側の奥の墓地からアプローチできます。この墓地のあたりに既に腰曲輪の痕跡が見えてくるのですが、ここから山林の中を突き進んでいくと次々に堀切や切通しなどが現れます。なかには迂回しないと越えられない切通しなんかもあって、場所によっては多少歩きづらい藪コギコースをたどらなくてはなりません。主郭には古びた八幡社があり、どうやら山麓から道もあるようですが、おそらく民家の敷地に繋がっているのでしょう。やはり墓地からのルートが無難なようです。

比高30mほどの舌状台地に築かれた大井城。丸氏らの残党が立て籠もったといいますが、遺構や縄張りにはその時代よりも新しさを感じてしまうお城です。 南東側の墓地から入ると、いきなり数多くの腰曲輪らしきものが現れます。このあたりも既に城域なのでしょう。
と、尾根を分断する堀切(切通し)が。完全に垂直でありこのまま尾根は越えられません。ただ、防御遺構というよりは、後世の人が作った古道ではないかと思います。 このあたりが南曲輪。南曲輪から三郭へは堀切は無く、2mほどの削崖で区切ってあるだけでした。
山林と化している三郭。というかこのお城は全部こんな感じです。トゲのある木が多い! 三郭から二郭へは規模の大きい堀切があり、幅の広い土橋が架かっています。この土橋、少々幅が広すぎる気がしないでもありません。
三郭から二郭への堀切。特に東側は山麓に向けて竪堀状に掘り下げられています。もともとはここまでが城域だったのかもしれません。 二郭には物見櫓跡という高まり(櫓台風ではない)があり、その周囲には石塁らしきものがあります。
二郭の物見櫓、南の尾根続き方面だけに低い土塁があります。ここが防御の中枢というところでしょうか。 主郭への大堀切。二郭側からは1.5mほどの深さですが、主郭側からは3mほどあります。結構幅は広いです。
主郭に鎮座する古びた八幡社。あまり地元の方も来ないらしく、だいぶ荒れていました・・・。 主郭周囲には土塁や枡形状の地形もありますが、神社建立の際の改変も考えられるので遺構かどうかはなんとも判断できないところです。
主郭の北側、北曲輪への堀切。もうこの辺になるとかなりのヤブです。ここで引き返しました(^^;) 二郭の東側の出丸(?)への堀切。二郭の塁壁との比高差は10mほどあり、上から見るとなかなかの迫力でした。

 

 

交通アクセス

館山自動車道「木更津南」ICより車90分。

JR内房線「九重」駅徒歩20分。

周辺地情報

稲村城が至近距離。滝田城もしっかり押えておきたい。興味があれば丸城、平松城なども。

関連サイト

 

 
参考文献等

「すべてわかる戦国大名里見氏の歴史」 ( 川名 登 編/図書刊行会)

「房総の古城址めぐり(上)」( 府馬清/有峰書店新社)

「日本城郭大系」(新人物往来社)

参考サイト

余湖くんのホームページ房総の城郭

埋もれた古城 表紙 上へ