荒波に呑まれ行く小土豪の悲哀

飯櫃城

いびつじょう Ibitsu-Jo

別名:

千葉県山武郡芝山町飯櫃

(高野神社裏)

城の種別  平山城(丘城)  
築城時期 天文二(1533)年
築城者  山室常隆
主要城主  山室氏
遺構  曲輪、土塁、空堀

主郭周囲の堀<<2002年01月13日>>

歴史

天文二(1533)年、この地方の領主、山室常隆が築き山室城から移転した。弘治元(1555)年に飯櫃城主・山室常隆は多古城主・牛尾胤仲と騎射のことで論争となり合戦に発展、山室常隆は牛尾胤仲の弟、薩摩守を射殺、多古城を攻撃し城に火を放って奪い取った、との記録もあるが、城下の法性山浄妙寺に天正五(1577)年牛尾胤仲の制札があることからこれは間違いであろう。「多古由来記」によれば、弘治元(1555)年に牛尾胤仲は飯櫃城の山室氏、大原城の加藤氏らを攻めようと画策、多古城下高根真弘寺での騎射に招き謀殺しようとしたが、住職の重如坊の密告で失敗、山室・加藤氏は協力して多古城を攻め、天正十三(1585)年二月六日落城、胤仲は討ち死にしたともいわれる。あるいは、北条氏に従わなかったため山室氏に攻められ逃亡したともいわれる。

天正十八(1590)年の小田原の役では北条氏に与したが、大軍の前に衆寡敵せず落城した。「総州山室譜伝記」によれば、小田原の役の後、没落した在地土豪を糾合して天正十八(1590)年十二月、山室光勝が飯櫃城で挙兵し、徳川家康配下の保科正光に攻められ落城したとされるが真偽は不明。

この「山室氏」というのは何者なのかわかりませんが、「総州山室譜伝記」という古文書が残されており、芝山町役場で買えます(現在読破中、しかしなかなか手強い本だ・・・)。この山室氏の客将であった井田氏が独立領主化し築いたのが横芝町の坂田城です。

まあそれはともかく、本多忠勝を大将とした徳川の房総方面別働隊の攻撃を受けたらひとたまりもないでしょう。勝手な想像ですが、この山室氏という小土豪はきっと、北条でも豊臣でも、なんでもよかったに違いありません。ただ時の勢いで北条に与したがために大軍に攻められ、赤子の手をひねるように蹴散らされたに違いありません。そう考えてみると、小土豪という存在のなんと儚いことか。ま、あくまでも勝手な想像ですけどね。

と思ったら、この「総州山室譜伝記」を読破した余湖さんによりますと、若干事情が違うようです。僕はてっきり「小田原の役」+「房総の城」=「本多忠勝にコテンパン」みたいな式を勝手に想像していたのですが、実はこの飯櫃城をめぐる合戦は天正十八(1590)年の年末、十二月だというのです。もちろんとっくに小田原城は開城しています。どうやら房総の諸城の接収を廻って、千葉氏の遺臣を中心としたもともとの在地土豪衆の不満が爆発、それらの勢力をまとめた親玉が山室光勝なる人物で、これに対して家康は本多忠勝ではなく、保科正光を遣わして平定に当たった、とのこと。で、飯櫃城勢もそれなりに健闘したみたいです。まああくまでも「それなりに」なので、最後は結局、ひねり潰されるのですが。この辺の経緯は「余湖くんのホームページ」の中に詳しいので、そちらをぜひご覧下さい。僕もちゃんと「総州山室譜伝記」読んで、全体像をもっと理解しようと思います。当然、軍記モノの類ですので史実かどうかは「?」のままです。

飯櫃城は延々と続く丘陵地帯の一角に築かれていて、周囲は比高20m前後の崖、外側は当時はきっと湿地に囲まれた、房総地方の典型的な中世城郭の一つだったでしょう。今ではすっかり農地になっていますが、それが幸いしたのか地形だけはよく残っています。いかにも古めかしいプランの小城、と思ったらこれも実はそうでもなくて、なかなか楽しめます。二郭の堀なんかは結構な幅と深さがあるし、主郭の回りの堀も控えめながら折がついているし、何ともいえない味わいがあります。ほぼ畑になっていますが、一見の価値アリです。

飯櫃城遠景。この地方に多い舌状台地を利用した典型的な中世城館の姿です。

飯櫃集落の入り口、高野神社の脇に佇む城址の碑。こちらは搦手にあたるようです。

高野神社は三段に削平された曲輪。 その高野神社の周囲の土塁は神社建立に伴うものでしょう。その背後には高い櫓台があります。以前はボサ藪に埋もれていましたが、綺麗に姿を現していました。
高野神社背後の櫓台付近は非常に急傾斜の崖。よくこれで崩れないもんだなぁ。 主郭虎口の土橋。主郭の中も外も、そして堀まですっかり耕されてました(笑)。

二郭から見る主郭の堀。埋め立てられ農地に転用されていても、その形は明瞭。

主郭の土橋から見る堀。人間ってどこでも耕すんだなあ・・・。

主郭には櫓台風の高台がありますが、冬でも背丈ほどもあるブッシュで近づけず。 主郭もすっかり畑に。成田空港に離発着する航空機がひっきりなしに上空を飛び交います。
二郭の堀は深さも幅も規模が大きい。でも畑だけど。ここ耕すの、結構面倒だと思うんですけど・・・。 二郭虎口付近の堀はすっかり植林されていました。
北側の崖には竪堀が。堀底道かもしれません。 城下の蓮福寺には陣屋風の門と土塁が。「根古屋」という地名もあり、素朴な中世城下集落があったことを彷彿とさせます。

 

 

交通アクセス

東金松尾有料道路「松尾IC」または東関東自動車道「新東京国際空港IC」より車15分。

芝山鉄道「芝山千代田」駅徒歩40分。

周辺地情報

ここまで来たら隣町、横芝町まで行って坂田城を見ましょう。

関連サイト

 

 
参考文献 「房総の古城址めぐり(上)」( 府馬清/有峰書店新社)、「総州山室譜伝記」(芝山町)、「図説房総の城郭」(千葉城郭研究会/国書刊行会)

参考サイト

余湖くんのホームページ千葉氏の一族

 

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