「但馬の小京都」といわれる出石の街。日本三代お家騒動のひとつといわれる「仙石騒動」の舞台でもあります。僕は江戸期、幕末のことは詳しくないので詳細はどこか別なサイトで見ていただきたいのですが、かいつまんで言えば筆頭家老の仙石左京と同じく家老の仙石造酒の派閥争いに継嗣の問題が絡んでゴタゴタになり、ついには幕府が裁定、左京は獄門、出石藩の知行も約半分の三万石になった、というような話。幕末近くにこんな前時代的な(応仁の乱のころような・・・)お家騒動やってて、よくお取り潰しにならなかったもんだなあと思います。出石の街は城下町の面影を色濃く残していますが、それにしても想像以上の観光地ですねここは(笑)。出石の皿蕎麦やら土産物屋やら、たくさん並んでいて、紅葉シーズンの三連休とあって道路も観光客で一杯。でも、城だけ見にきてる奴って少ないんだろうな。。。まして、背後の有子山城を目的で来てる奴って、年間何人いるんだろう。。。
で、僕も出石城&有子山城をひととおり見て、出石皿蕎麦を食べてしまいました。あんまりこういう観光地っぽい店で飲食することは無いんだけど、ちょっとした山登りの後で腹も減ったし蕎麦好きだし。これ、蕎麦つゆに卵とトロロを入れて食べるんです。トロロと卵の「トロ〜ン」とした感じと蕎麦つゆ、そしてシャキッと腰のある蕎麦の組み合わせがたまりません。5皿頼んだが足りずに、結局10皿食べて1470円。いやあ、コストパフォーマンス高いんじゃないでしょうか。
肝心の出石城はというと、高石垣はなかなか立派です。それなりに一見の価値ありです。ただ、やはり近世の政庁というか、陣屋に近い形態で、中世城郭のような複雑かつダイナミックな縄張、仕掛けの妙は見ることができません。やはりマニアは覚悟を決めて有子山に登ること。そして下山して腹減ったら蕎麦を食べるんじゃ!
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出石城二ノ丸下の郭の石垣と背後の有子山の古城。石垣の苔生し具合、植物の蔓の巻きつき具合なんかはなかなか風情はあります。 |
二基の隅櫓が復原(模擬)されています。これは西隅櫓。ふつうの人が「出石城」といえば、これらの櫓を指すのでしょう。 |
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感応殿の建つ本丸跡。 |
感応殿は明治時代に仙石氏の旧臣が建立。祀り神は幕末に藩主であった仙石氏の祖、仙石秀久公です。 |
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本丸の上に稲荷郭があります。ここの高石垣が一番見事でしょう。ややたわみが気になりますが・・・。 |
内堀の跡は美しい清流に。 |
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三ノ丸。対面所などの近世政庁としての出石城はむしろ平城と言ってもいいものでしょう。 |
大手門跡から出石のシンボル、辰鼓楼を見上げる。それにしても、スゴイ人出である。。。正直、写真撮るものやっとでした。 |
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大手門から外堀と石垣。ここも鯉にエサをあげる人たちでギッシリ。ぼんやり城なんか見てると押されて堀に落ちるかも? |
やっぱりコレでしょう。ほんとにうまかった。蕎麦は江戸期に信州上田から転封してきた仙石氏が信州から持ち込んだものだとか。 |