城より蕎麦?

出石城

いずしじょう Izushi-Jo

別名:

兵庫県出石郡出石町内町

城の種別 近世平山城

築城時期

慶長九(1604)年

築城者

小出吉英

主要城主

小出氏、松平氏、仙石氏

遺構

曲輪、石垣、外堀、模擬櫓二基、辰鼓楼

稲荷郭の高石垣<<2001年11月23日>>

歴史

天正二(1574)年、山名祐豊、氏政父子によって、北2kmの此隅山城から新たに有子山城が取り立てられたのが始まり。山名氏の滅亡後は羽柴秀吉、秀長の管轄下で木下昌利、続いて青木勘兵衛が城代を勤め、天正十三(1585)年には秀吉股肱の臣である前野将右衛門長康が但馬十一万石の国主として入城した。しかし前野将右衛門は文禄四(1595)年、嫡子景定が関白豊臣秀次の失脚に連座して切腹となったことを受けて自刃、替わって播磨龍野城から小出吉政が任じられた。

慶長五(1600)年の関ヶ原の役で、小出氏は家名存続のため秀政・吉政父子は西軍、吉政の弟・秀家は東軍に分かれて闘ったが、秀家の軍功により吉政は西軍に加担したことを許され出石の本領を安堵された。吉政の嫡子である吉英は慶長九(1604)年、有子山城を廃城として、山麓に新たに出石城を築城した。元和の一国一城令下での但馬国唯一の城郭となったが、天守は作られなかった。小出氏九代、松平氏一代ののちに、信州上田城より仙石政明が入封し幕末まで七代続いた。この間、仙石氏の家老同士による派閥争い「仙石騒動」が起きている。

「但馬の小京都」といわれる出石の街。日本三代お家騒動のひとつといわれる「仙石騒動」の舞台でもあります。僕は江戸期、幕末のことは詳しくないので詳細はどこか別なサイトで見ていただきたいのですが、かいつまんで言えば筆頭家老の仙石左京と同じく家老の仙石造酒の派閥争いに継嗣の問題が絡んでゴタゴタになり、ついには幕府が裁定、左京は獄門、出石藩の知行も約半分の三万石になった、というような話。幕末近くにこんな前時代的な(応仁の乱のころような・・・)お家騒動やってて、よくお取り潰しにならなかったもんだなあと思います。出石の街は城下町の面影を色濃く残していますが、それにしても想像以上の観光地ですねここは(笑)。出石の皿蕎麦やら土産物屋やら、たくさん並んでいて、紅葉シーズンの三連休とあって道路も観光客で一杯。でも、城だけ見にきてる奴って少ないんだろうな。。。まして、背後の有子山城を目的で来てる奴って、年間何人いるんだろう。。。

で、僕も出石城有子山城をひととおり見て、出石皿蕎麦を食べてしまいました。あんまりこういう観光地っぽい店で飲食することは無いんだけど、ちょっとした山登りの後で腹も減ったし蕎麦好きだし。これ、蕎麦つゆに卵とトロロを入れて食べるんです。トロロと卵の「トロ〜ン」とした感じと蕎麦つゆ、そしてシャキッと腰のある蕎麦の組み合わせがたまりません。5皿頼んだが足りずに、結局10皿食べて1470円。いやあ、コストパフォーマンス高いんじゃないでしょうか。

肝心の出石城はというと、高石垣はなかなか立派です。それなりに一見の価値ありです。ただ、やはり近世の政庁というか、陣屋に近い形態で、中世城郭のような複雑かつダイナミックな縄張、仕掛けの妙は見ることができません。やはりマニアは覚悟を決めて有子山に登ること。そして下山して腹減ったら蕎麦を食べるんじゃ!

出石城二ノ丸下の郭の石垣と背後の有子山の古城。石垣の苔生し具合、植物の蔓の巻きつき具合なんかはなかなか風情はあります。 二基の隅櫓が復原(模擬)されています。これは西隅櫓。ふつうの人が「出石城」といえば、これらの櫓を指すのでしょう。

感応殿の建つ本丸跡。

感応殿は明治時代に仙石氏の旧臣が建立。祀り神は幕末に藩主であった仙石氏の祖、仙石秀久公です。

本丸の上に稲荷郭があります。ここの高石垣が一番見事でしょう。ややたわみが気になりますが・・・。

内堀の跡は美しい清流に。

三ノ丸。対面所などの近世政庁としての出石城はむしろ平城と言ってもいいものでしょう。

大手門跡から出石のシンボル、辰鼓楼を見上げる。それにしても、スゴイ人出である。。。正直、写真撮るものやっとでした。

大手門から外堀と石垣。ここも鯉にエサをあげる人たちでギッシリ。ぼんやり城なんか見てると押されて堀に落ちるかも?

やっぱりコレでしょう。ほんとにうまかった。蕎麦は江戸期に信州上田から転封してきた仙石氏が信州から持ち込んだものだとか。

近くには、仙石騒動の立て役者、出石藩家老の仙石左京の屋敷などもあります。とにかく観光地なんで、トレッキングポールと登山靴姿の自分のなんと場違いなこと。。。。

 

交通アクセス

播但自動車道「和田山」IC車30分

JR山陰本線「豊岡」駅よりバス

周辺地情報 このサイトを見に来る方は多分、かなり病的な城郭ファンだと思うので(?)、そういう方々はぜひ背後の有子山城に行くべし。腹減ったら蕎麦食うべし。あとは竹田城を忘れちゃいけない。
関連サイト  

 

参考文献

「日本城郭大系」(新人物往来社)、「日本の城 ポケット図鑑」(西ヶ谷恭弘/主婦の友社)、現地パンフレット

参考サイト

 

 

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