木曽川流域の地侍、というよりむしろ、野盗まがいの日々を送っていた前野将右衛門。蜂須賀小六らとともに「川並衆」として、信長の、というより秀吉の手足となって美濃攻略などに活躍しました。その秀吉は破竹の勢いで天下人となり、将右衛門長康は但馬十一万石の大名として、この出石有子山城を授かります。しかし、天下を握った秀吉はかつての秀吉とはまるで別人、無用な戦と豪奢な建築趣味で諸大名や民衆を疲弊させます。悩める将右衛門に引導を渡したのは、秀吉の養子として関白の座を嗣いだ豊臣秀次の失脚。秀次は切腹、将右衛門の養女をはじめとした愛妾や一族はことごとく斬首され、秀次の近習として仕えていた将右衛門の嫡子、景定も連座し失脚、腹を切ります。懐かしい、雄大な木曽川の川面と、いつも将右衛門の影で微笑んでいた亡き妻あゆ、そして「籐吉郎」と呼ばれていた頃のかつての秀吉の姿に思いを馳せながら、将右衛門も京都千本屋敷で、将右衛門なりの「男の一生」に「けじめ」をつけるのでありました・・・。
「武功夜話」をベースとして、前野将右衛門というひとりの男の生き様を美しく、もの哀しく描いた、遠藤周作先生の「男の一生」という小説は、僕の最も好きな小説のひとつです。読むたびに心に染み渡る、美しい小説。電車の中なんかで読むのはちと辛いですね、いつもグッときてしまいますんで。。。「権力」を手に入れて変貌してゆく秀吉、それに抗えず苦悩する将右衛門、そして自ら、彼なりの「男の一生」に幕を引きます。きっと彼は、この有子山城から、長年連れ添った妻のあゆと愛娘の待つ、懐かしい木曽川に還って行ったことでしょう。
その将右衛門が最も高いところに登りつめた舞台、出石有子山城を目指しました。その前に竹田城を心行くまで堪能して、一路、出石へ。山麓の出石城は近世城郭で、「ちょいちょい」と見学できますが、その背後に控える中世の有子山城はというと・・・背後に思わず空を仰ぎたくなるような高峰が・・・。た、高い・・・!しかも急峻。駐車場のオジサンに恐る恐る聞いてみる。「有子山のお城は、この山ですか?」「そうだけど、あんた登るの?大変だよ。5時間掛かるよ。」ついつい強がりで「いやあ慣れてるから。」なんて言ったものの、危険な香りが漂う。しかしオッサン、5時間はかからんと思うぞ。。。
出石城の稲荷脇の山道から登山道がありますが、出た!直登の急な尾根筋!しかも足元は苔生した岩場で滑るの何の。久しぶりにゼエゼエしました。尾根筋の直登コースには竪堀や土橋、馬蹄状の曲輪などもあり見逃せません。尾根を登りきるとこんどは帯曲輪状の道に出ます。ここも竪堀や土塁などがあります。再度のつづら折の急坂を登ると城内主要部の石垣が見えてきます。最初の大石垣(三ノ丸石垣)が見えてきたら登山道を逸れて右、東南側の道に回ってみましょう。見事な石垣が30mほど続いており、その更に先には大きな堀切があります。堀切の脇を登れば千畳敷の曲輪があります。そして本丸にも重厚な石垣が、そして絶景が待っています。この石垣群は非常に状態が良い上、なんとも心に響く美しい朽ち方をしていまして、「埋もれた古城」の風情に溢れています。これを見るだけでも、急峻な山道と50分間、闘う価値は充分にあります。非常に規模の大きい山城で、一応近世には山麓の出石城が築城されてこの有子山城は名目的には廃されたとはいえ、おそらく詰城として温存していたためか、破却が行われた形跡もなく、素晴らしい古城の風情が堪能できます。気合いを入れて、ぜひ山道を登ってみてください。そこには将右衛門が描いた彼の人生と、彼が晩年に心血を注いだ、美しい但馬の山河、そして美しい風情を湛えた壮大な古城の姿があるはずです。