中世と近世が同居する

龍野城

たつのじょう Tatsuno-Jo

別名:霞城

兵庫県龍野市龍野町上霞城

城の種別 中世山城・近世平山城

築城時期

明応八(1499)年頃

築城者

赤松村秀

主要城主

赤松氏、蜂須賀正勝、脇坂氏 ほか

遺構

曲輪跡、空堀、石塁、土塁

模擬隅櫓、復原埋門、復原御殿

復原隅櫓と古城の鶏龍山<<2001年4月23日>>

歴史

明応末期(明応八(1499)年頃)、西播磨を支配した豪族、赤松村秀により鶏龍山山頂に築かれた。以後4代続いたが、天正五(1577)年、赤松広秀のときに信長の命による秀吉の播州征伐で軍門に降り開城、蜂須賀小六正勝を城番として置いた。広秀は後に賤ヶ岳合戦などの戦功で但馬竹田城に移った。江戸時代に入ると龍野城は現在地に平山城として築かれた。一時期、姫路城に入城した池田輝政により支城として整備された。万治元年京極高知の丸亀移転に際して破却され、その後14年間は天領となった。寛文十二年(1672)、信州飯田から脇坂安政が5万3千石で入部し、龍野城を再建したが、山麓のみを整備した陣屋形式のものとなった。

播州の山並みを下り、海に出る直前に城はあります。城下町は「播磨の小京都」などとも称されますが、ちょっと大げさな気はします。それでも、武家屋敷街の雰囲気などはなかなかで、お城マニアならずとも、ちょっと風情のある「お散歩コース」にもなりそうな、そんな雰囲気がありました。

ここは津山から姫路城に向かう際に立ち寄りました。本当は山上の赤松氏時代の山城を見たかったのですが、時間の関係で断念し、整備された山麓の近世城郭のみを見学しました。この近世龍野城は陣屋形式で、さほど広くもないため、あっという間に見学が終わってしまいました。

今度行く機会があったら、ぜひ赤松時代の山城を見学したいですね。

模擬の二層隅櫓。なかなか綺麗です。 近世龍野城の石垣と登城路。風情があります。
模擬復原された本丸御殿。 復原された櫓門形式の埋門。

 

交通アクセス

山陽自動車道「竜野」IC車15分

JR姫新線「本竜野」駅徒歩30分

周辺地情報

 

関連サイト

 

 

参考文献

「日本名城の旅 西日本編」(ゼンリン)、「日本の城 ポケット図鑑」(西ヶ谷恭弘/主婦の友社)

参考サイト

 

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