朝霧に浮かぶ天空の城

竹田城

たけだじょう Takeda-Jo

別名:虎臥城

兵庫県朝来郡和田山町竹田

 

城の種別

中世山城

築城時期

14世紀中頃

築城者

山名氏

主要城主

山名氏、羽柴秀長、赤松広秀

遺構

曲輪、石垣、天守台、門跡

天守台から見下ろす朝霧の南千畳<<2001年11月23日>>

歴史

14世紀中頃、但馬守護・山名氏の支城として築城された。秀吉の但馬攻略で、弟の秀長に与えられ、秀長没後は秀吉に投降した龍野城主・赤松広秀が城主となる。秀長が城主の頃に大修復が行われ、今に見る総石垣の壮大な城となった。修復には十三年の年月を要し、賦役の農民は「田に松が生えた」ほどの困窮に陥った。城主となった広秀は租税を免除し治水に力を入れるなど、領民に対し善政を布いたが、慶長五(1600)年、関ヶ原戦で広秀は西軍に加担し、のちに家康に帰参するが、結局は家康の命により切腹、赤松氏は断絶し城も廃城となった。

日本を代表する、中世山城の完成形。その石垣の壮大さ、美しさ、まさに筆舌に尽くしがたいお城です。しかも、冬季の晴れた朝には、写真のような朝霧に包まれた「絶景」が見られます。これをみることができただけでも、車中一泊、16時間かけて行って来た甲斐があったというもの。急斜面にせり出した石垣が雲海の上に浮かぶ様は、まさに「天空の城」でした。

この絶景を見るために、広域天気予報、気温予想などを見て、絶対に朝霧が出ると言う「万全」の確信を持ちましたが、結果はご覧の通りドンピシャリ。乳白色の朝霧の中に浮かぶ累々たる石垣の列、それはまさに「天空の城」と呼ぶにふさわしいものでした。しかし、朝の7時前だというのに、山上の石垣には多くのカメラマンがズラリと並んで、さながら「初日の出」を待つ人々のようでした。

いつもなら「石垣の積み方がどうの」とか「虎口の形がどうの」という部分部分を見て歩く僕ですが、ここではさすがにこの絶景にしばし見とれてしまいましたね。しかし、この山上にこの夥しい石垣。。。「田に松が生えた」と伝承される、築城に関わった民衆の苦労、それを冷酷に遂行した権力というものの凄まじさ、人間のやることっていうのは本当にスゴイ、というか過酷、というか。。。絶句してしまいますね。この、中世山城が近世城郭に発展する一瞬の輝きを四百年以上の時を経て今なお伝え続けてくれる竹田城、ソレガシ的には「世界遺産級」と考えています。

とにかく、じっくり見てください。そして、機会があったら、訪れて見てください。満足度100%を保証します。

なお、結構問い合わせが多いので霧のことについて記載しておきます。「城をめぐる 兵たちの夢跡を歩く」(マガジントップ/山海堂)という本によると「山麓を流れる円山川から朝霧がのぼるのは、10月下旬から12月中旬のよく晴れて冷え込んだ翌朝が多いという」「霧が立ち上るのは、前日よく晴れて夜半冷え込んだ夜明け、朝8時頃まで続くことも。」とのことです。秋口の西高東低の、冷え込みの強い朝を狙うのがよさそうです。ソレガシが行った日も同様の気象条件でした(狙い的中!)。霧は8時半くらいまで残っていましたが、晴れるときはほんとに一瞬、あっという間という感じでした。霧は風に煽られて刻々と変化するので、できれば天守台あたりから定点観測で暫くその変化の表情を楽しむのがいいでしょう。なお、このシーズンにはお城ファンのみならず、写真ファンなども押し寄せるので、早朝から撮影スポットを確保したほうがいいでしょう。

城下町、竹田のはずれから、虎臥山に横たわる石垣の列を見上げる。目の前に天然の外堀、円山川が流れる。中世山城ファン必見の聖地だ。

駐車場からのコースは緩やかな「大手道」コースと「花屋敷」への搦手直登コースがあります。ソレガシは直登コースへ。この霧、期待が高まる・・・!

期待を裏切らない、霧に包まれた神秘的な竹田城の姿。写真は本丸天守台から南千畳方面。霧は刻々と表情を変化していきますので、暫く定点観測でその変わり行く表情を楽しんで行きましょう。

竹田城は本丸を中心に南北に両翼を広げたような縄張りです。こちらは本丸から見る北千畳方面。 そしてこれは北千畳へと向かう尾根からの南千畳方面の眺め。
南千畳方面から見た天守台。この少し前まで、天守台は霧の写真を狙うカメラマンで一杯でした。 南千畳と講武所(南二ノ丸)の間の正門石垣。おそらく改修により積み直されているのでしょう。
いまだ霧に包まれる南千畳。この広い曲輪にどんな建物が聳えていたのだろうか。 南二ノ丸は「講武所」というそうだが、調練所のようなものがあったのか。廃城時期を考えれば藩校のようなものはなかっただろうし・・・。
二ノ丸方面から見た天守台。映画「天と地と」ではこの天守台の上にセットの天守が組まれました。その勇姿も見てみたかったなあ! 本丸、天守台の虎口は急な石段で、中ほどから上が狭められています。
本丸から見た天守台。石段はなく、櫓の中の階段で連結されていたと思われます。 「高見殿」とも呼ばれる本丸。

本丸天守台の石垣から眺める但馬の山々。なんと美しい光景だろう。

本丸下、平殿付近の食い違い虎口。堅固さもさることながら、見事な造形美です。おそらく埋門のような形式だったのではないでしょうか。

北千畳へと向かう峰にある「武の門」と太鼓櫓。その名の通り、着到などを知らせる太鼓櫓があったのでしょう。 北三ノ丸に相当する「御溜殿」、ここは大手口に面しているため防衛上の要でもあります。
ふたつの枡形が連続する大手口。写真は上段の枡形。 大手口下段の枡形と見附櫓跡を上から見る。
登城者を威圧せずにはおかない、大手口からの石垣の眺め。 北三ノ丸の帯曲輪付近から本丸方面。延々と続く石垣が圧巻。
いまにも雲の上に飛び出しそうな花屋敷曲輪。 花屋敷曲輪の周囲には武者走り状、というより銃撃陣地と思われる低い石垣が取り巻いていました。
霧も晴れて見え始めた竹田の城下町。左は大手虎口の枡形。 中腹の駐車場脇にある、山名氏・赤松氏両軍戦没者慰霊の塔。

 

交通アクセス

播丹自動車道「和田山IC」より車20分(中腹に駐車場あり)。

JR竹田駅より徒歩50分。

周辺地情報

出石城有子山城はセットで見学。出石蕎麦を食べて帰ろう。

関連サイト

和田山町のサイトに縄張り図(PDF形式)があります。

 

参考文献

別冊歴史読本「検証 戦国城砦攻防戦」 (新人物往来社)

「城をめぐる 兵たちの夢跡を歩く」(マガジントップ/山海堂)

「日本の城 ポケット図鑑」(西ヶ谷恭弘/主婦の友社)

「日本名城の旅 西日本編」(ゼンリン)

「日本城郭大系」(新人物往来社)

参考サイト 和田山町

 

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