黒川城の冬(2002.12.30)

2002年も押し迫った12月30日、麓から見た積雪が少なそうだったのと、藪も薄く見えたため、「多少無謀かな」とは思いつつも雪の中、力攻めしてきました。黒川城の要害は標高200m付近の「前要害山」と標高301mの「奥要害山」にわかれていますが「前要害山」は今回はじめて見ました。しかし、麓からでは藪も積雪も大したことがないように見えて、実は熊笹の上に雪が積もっていて物凄く滑りやすい急斜面でした。道なき道と悪戦苦闘すること約30分、ようやく前要害山に到達しました。そこから更に痩せ尾根を30分以上積雪と格闘したどり着いた奥要害山の主郭付近は、積雪が30cmほどあり、堀切の斜面などを歩くのはかなり悪戦苦闘しました。山頂の主郭付近で天候が急転、さっきまでの晴天が嘘のような横殴りの雨混じりの雪が叩きつけてきました。びしょ濡れになりながら急いで下山。やはり越後の冬山はナメちゃいけません。実家の親にもアホだと思われる危険があるのでナイショにいています(^^;) 大体、普段からロクに整備もされていない山城に、積雪の中、挑むというのは、正気とは思えませぬ。我ながら、少々無謀な挑戦であったと反省。

それでも成果もありました。今回の新発見としては、堀切手前に石積みを伴う土塁があったこと、書籍で見た縄張図の範囲外にも夥しい削平地や堀切があることなどです。ソレガシは黒川城を「小城」だとばかり思っていましたが、堀切や竪堀、小規模な削平地、削り落とした削崖などが延々と続いており、実は非常に壮大な山城でした。小城どころか、新潟県北の山城のなかでも相当の規模を誇るもので、鳥坂城平林城などに見劣りしないものでした。ただし、技巧面ではやはり戦国期の前期くらいまでのものしか見られず、削平地も痩せ尾根地形を反映してか大きなものはありません。立地も戦国期の山城としてはいかにも奥まった場所にあり、やや時代的に古さを感じざるを得ません。規模の大きい二重堀切以外はいかにも古めかしい「古要害」という印象です。

惜しむらくは、国指定史跡でありながら登山路や解説が全くなく、危険な痩せ尾根を藪コギしないといけない事。「国指定」を受けているからには、地元自治体にはしっかり整備をお願いしたいです。でも冬に登るのは俺くらいか。。。。

黒川集落から見た黒川城の全景。前要害、奥要害のふたつの要害と、大蔵神社附近を含めた規模の大きい館城を持つ、本格山城でした。麓の居館から奥要害主郭まではやたらと距離があります。 グエェェェ!麓からだと藪も積雪も少ないように見えて、実は藪と倒木だらけ、熊笹の上に積もった雪がやたらと滑るのなんの。。。比高差150mを30分もかけて、やっと最初の堀切発見。どの概念図にもない、前要害山の南端です。

これが本邦初公開(?)の黒川城前要害山。峰をちょっと削平して、尾根続きを小規模な堀切でちょん切っただけの簡素な構造。館背後の守りと同時に、鳥坂城の中条勢から黒川城を守る、前衛の防備の要でもありました。 前要害山から見る奥要害山。尾根筋には、サルかタヌキか、はたまたウサギかの獣の足跡がある他は何も無く、積雪は20cm。斜面は急だし。。。道は遠く、果てしない。

前要害山から奥要害山には、一騎駆け状の細尾根が続きます。これは鞍部を断ち切る奥要害南端の二重堀切のうち、麓寄りのもの。 なかば朽ちかけた標柱の建つ二重堀切の、山側のもの。堀切は規模は大きく、とくに奥要害山側の斜面は急峻で、積雪の中、よじ登るのに一苦労。

こりゃ大発見じゃ!奥要害山の三郭下の堀切前面には、石積みを伴う土塁が尾根を閉塞しています。近世城郭である村上城を別にすれば、越後揚北の中世山城での石積み遺構ははじめて見ました。 左写真の石積み土塁背後の堀切を三郭側から。ソレガシの足跡だけが残ります。ここもよじ登るのはスゴイ大変。一度堀底に滑落しました。アホじゃ〜!

鋭い三角形の三郭。いよいよ、奥要害山の中枢部へ近づいてきました。積雪は30cm以上。いい加減寒くなってきた。。。 ほとんど気のせいのような、二郭への堀切。このお城は曲輪は小さいものの、尾根筋が長く、要所要所をしっかり堀切で断ち切っています。

根性で到達した二郭。ここは多くの腰曲輪が配置された、防御の中枢ともいえる場所。 二郭周辺の腰曲輪のなかにある竪堀?な場所。だいぶ崩落している上、この積雪じゃ遺構かどうかは判然としませんけど。。。

やっと本丸へ!登山開始地点からの比高差250mを一時間以上かけての征服!でも誰も褒めてくれない!我ながら、かなりアホな行為をしていることに気づく・・・。 「黒川城本丸跡」とだけ記された標柱と、我が母なる黒川集落を眺める。景色は最高!と言いたいんだが、や、ヤバイ!雪雲が接近!さっきまであんなに晴れてたのに〜!!

主郭搦手方向は10mほどの段差があり、思わせぶりな巨石が鎮座しています。この巨石も、搦手の構造物の一部なんでしょうか? 搦手の、これも気のせいのような堀切。

最も標高の高い、仮称詰曲輪。ここから尾根は一旦大きく下り、蔵王権現方面へ続きます。ここまで攻めこまれたら、降伏するか、この詰曲輪で腹を切るしかありませぬ。 うわぁ〜雨まじりの雪が!テメエの足跡だけを頼りに慌てて下山。途中、前要害山から東に続く尾根上に二条の堀切を発見。たくさん堀切があるなあ、って感心してる場合ぢゃないよ〜!退け退け〜!!
よい子は真似してはいけません(^^;)

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