勝頼が最後に頼った無双の要害

岩殿城

いわどのじょう Iwadono-Jo

別名:

山梨県大月市賑岡町岩殿

城の種別

山城

築城時期

不明  

築城者

武田氏?小山田氏?

主要城主

小山田氏

遺構

曲輪、虎口、堀切、井戸

岩殿城の大岩盤、鏡岩<<2001年12月01日>>

歴史

築城時期は定かではない。九世紀末、天台宗の岩殿山円通寺として開山したのがはじまりという。十三世紀には修験道の山として栄えた。

戦国期の享禄五(1532)年、武田氏に被官していた小山田氏が相模・武蔵方面への守りとして城郭化した。天正十(1582)年三月、織田・徳川連合軍が甲斐に侵攻、武田勝頼は築城なかばの新府城を焼き捨て、真田昌幸の「岩櫃城にお退きあれ」の言を退けて小山田信茂の守る岩殿城へ退避するべく行軍していたが、笹子峠で小山田信茂は叛乱、勝頼は岩櫃へと転進するも敵わず、三月十一日、天目山にて自刃した。信茂は信長への帰参を請うたが、不忠者として逆に成敗された。武田氏、小山田氏滅亡後は甲斐を治めた徳川氏の手に渡ったが、元和元(1615)年廃城となった。

小山田信茂に何があったのか?小説「武田勝頼」では、家臣に強要されたことになっていましたが、真相は闇の中です。ただ、小山田氏は武田に被官していたものの厳密には「家臣」ではなく、「織田・徳川」のような同盟関係にあったのではないか?と見られています。とすれば、当時の道徳観念から推察すれば、主に忠を尽くして家を絶つよりも、強者に組して家名を存続させる道を選んだのでしょうか。もちろん推測に過ぎません。ただ、この後に織田信長・信忠によって「不忠者」として成敗されたことは事実であり、そういう意味では信長の覇権拡大の下で犠牲となったひとり、なのかもしれません。そして当の信長はご存知のとおり、このわずか三ヵ月後にあっけなく果ててしまうことになるのです。

岩殿城はいやでも目立つ大岩盤の上にありました。上にあった、というよりも巨大な岩がそのまま城として利用された、と見るほうがいいでしょう。大月の街や中央高速からでも、この異様なほどの岩盤は目立ちすぎるほど目立っています。最後にこの岩殿城に落ち延びようとした勝頼にも、この堅固さが頼みに思えたのでしょうか。とにかく、まともに攻めても絶対に陥ちなそう、というより、まともに攻めることすら不可能に近い、これ以上ないくらいの天嶮の要害地形です。

地形が険しい分、人工的な遺構としてめだったものはあまりありません。まあ、岩の上に出てみれば意外に広い曲輪や、自然の地形を最大限利用した木戸跡など、それなりに見所はあります。驚いたのは、こんな岩山にもちゃんと井戸があって水が湧いていること。でも、何よりもここから見る富士山の美しさ、真下に見下ろす桂川(相模川)と中央高速、の景色が最高でしたね。単なるハイカーじゃねえかそれじゃ、って思われるかもしれないけど。まあ登りがきつい分、景色で満足させてくれることは間違いないです。でも登りは見た目のまんま、死ぬほどきついので覚悟。

マイカーのオンボードカメラ(笑)で中央高速から見た岩殿山。あまりにも異様な岩盤。 麓に近い丸山公園に立つ御殿風の資料館(?)と鏡岩。ここまで登るのも一汗かくのだ。

見た目からして大体想像がつくと思うんですが、こんな感じの急坂(というか階段)が延々と続きます。結構足に来ます。

揚城戸跡。その名のとおり、上に揚げる城戸があった。岩盤を利用した天然の切り通しですな。

揚城戸の先の番所跡。堅固な城戸を護る。 鏡岩を登りきると南物見台。展望台になっていて、普通の人はこの辺までしか来ません(笑)。
遠くに聳える富士山の美しい姿。日本人は何だかんだ言っても、やっぱり富士山が好きなのダ! 真下に見下ろす桂川と中央高速、大月の街。桂川は断崖絶壁で外堀としてはこの上なく要害。
馬場跡。比較的広いのだが、削平地というよりも岩の上の平坦部をそのまま使ったっていう感じ。しかし、ここまで馬をどうやって登らせたのか? 亀ヶ池(右)と馬洗い池(左)。こんな岩盤の上に水があること自体、不思議。
本丸と烽火台。本丸はなんと「電波烽火台」(テレビ電波の中継用施設)に。ちょっと幻滅だ。 本丸の東側にある空堀(堀切)と土橋。堀切はふたつありましたが、この山にはあってもなくても堅固さは大して変わらないと思うのですが。
七社権現の岩窟。ザ・修験道の山、という感じ。 つい観光に出かけてしまった猿橋。日本三大奇橋のひとつ。ただし復原。この猿橋渓谷の秋の風景は最高でした。

麓には円通寺の跡もありますが、遺構はよくわかりませんでした。非常に体力を消耗しますがその分景色もいいし、有名なお城だし、満足度大。この後、猿橋公園で幼い姉妹に銀杏の葉を貰いました。いやあ、子供って純真でかわいいなあ。。。

 

 

交通アクセス

中央自動車道「大月IC」より車10分(山麓高月橋北側に駐車場あり)

JR「大月」駅徒歩15分  

周辺地情報

天目山の勝頼自刃の地に行きたかったのですが時間がなくて行けませんでした。 

関連サイト

 

 
参考文献 「風林火山・信玄の戦いと武田二十四将」(学研「戦国群像シリーズ」)、別冊歴史読本「武田信玄の生涯」(新人物往来社)、「日本城郭大系」(新人物往来社)、小説「武田勝頼」(新田次郎)

参考サイト

 

 

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