攻城日記

<<武蔵国>>

見学先 川越城滝ノ城深大寺城
見学日 2001年9月15日

 

07:00 自宅発、首都高湾岸線浦安ICから高速へ。当初の予定は八王子城見学。
08:00 中央高速が事故渋滞18kmで全く動かないため予定変更。高井戸ICより環八を北上、関越道経由で川越城へ。
08:50 川越城着。本丸御殿はまだ開館していないため、先に周囲を廻る。天神曲輪付近の土塁がよく残る。やや迷いながら住宅地を抜けて富士見櫓へ。住宅地の真中に田曲輪門の碑と、辛うじて残る堀跡らしきものを発見。富士見櫓跡は土塁状の高台の上だが、木が覆い繁っていて眺望は全く効かない。なんと再建計画があるそうな。
09:50

本丸御殿へ。幕末近くの建築ではあるが、本丸殿社としては全国でも貴重な遺構。写真撮影が自由にできるところがいい。家老詰所や厠などを見学。殿社と言っても一部だけなので、見学には時間はかからない。

川越の街なかの曲輪跡や門跡を探す。大手門は市役所前。かつては馬出しがあったが、今では市役所と駐車場に。大手門跡の碑と、道灌の像のみが建つ。本丸と大手門の間は「郭町」という地名で、二ノ丸、三ノ丸にあたる。道は二箇所ほど食い違い状にクランクしていて、かつて虎口門があったこと偲ばせる。

10:30

 

 

そのまま蔵屋敷、時の鐘へ。「小江戸川越」はいつも観光客で一杯だ。狭い道をバスが連なり、じーさんばーさんの大群が移動する。その間を縫って歩く。時の鐘は明治の大火で消失し、現在のものは再建。時代を反映して電動式となったが、今でも時を告げているんだとか。

喜多院も見ようと思っていたが、あまりの観光客の数に辟易して川越脱出。

12:20

 

所沢のはずれ、清瀬との境目にある滝ノ城へ。河岸段丘の細い道を降りると城址公園の駐車場が。小城と思っていたが、存外整備されている。城址は段丘の上にあるが、この公園がある段丘下も館跡ではないだろうか?

本丸・二ノ丸にあたる周囲の空堀は実によく残っている。曲輪は低い土居に囲まれていた。二ノ丸から遊歩道を抜けて住宅地へ。遊歩道は大手道と推定され、両側に堀を控え、土橋で各曲輪を繋ぐ。住宅地も三ノ丸に相当し、数箇所に見張台の土塁が残る。住宅地北東部の段丘の縁にも出丸のような曲輪跡があった。「滝の城」の名の由来となった滝(というより沢)が復原されていた。井戸跡、搦手方面を見て見学終了。

13:20

滝山城方面に向かうがまたしても大渋滞。ここでVICS情報を見ながら予定変更し、深大寺城に向かうことに。

15:00

神代植物公園着。思わず植物園の入場券を買ってしまったが、城址は植物公園の外、湿性植物園の方にあるそうな。ちょっと損した。

深大寺境内を抜けると「深大寺蕎麦」の店や土産物屋が並ぶ。一瞬、都内にいることを忘れてしまいそうな光景だ。

城址の周囲を一回り。舌状台地先端の崖端の地形を見る。崖には竪堀が残っていた。湿生植物園を抜けて城内へ。といっても二郭は普通の芝生公園になっていて、わずかに残る土塁、空堀が無ければ単なるファミリー公園のようだ。一郭は空堀と土塁に囲まれていた。保存状態の良い空堀に見えるが、実は一度埋められていて、城址公園整備の際に復原したものだそうだ。一郭は薄暗い森林になっていて、中央部にわずかな高台がある。「櫓台跡」というがそれにしても低過ぎないか?

16:00 見学終了。節約して一般道で帰宅。

 

経費精算

首都高速       \700

関越自動車道     \800

川越城本丸御殿    \100

昼食         抜き

お賽銭        弱冠

神代植物公園     \500(城址見学には不要)

神代駐車場      \400

飲み物代       \300

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計          \2,800-

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