我が故郷、黒川村の古戦場にして、このサイト初の「戊辰戦争」にまつわるお話です。
梨ノ木峠は、黒川村の「鼓岡地区」夏井・坪穴集落と「大長谷地区」須巻集落を結ぶごく小さな峠で、現在は国道290号が貫通しています。夏井集落側から見ると比高30m程度の丘陵に見えます。ソレガシが中学生であったころ、よくこの峠をチャリで越えて、友達の家に遊びに行ったものでした。そのとき、同級生の「よっちゃん」(元気にしてるかな〜)から
「こごは戊辰戦争んとぎの、戦場だったんだで〜。鉄砲の弾だの、刀だの、人の骨だのが出でくるらぁしで。宝も埋まってるんだどさ。掘ってみっかぇ?」
と教えてもらったのが最初でした。そしてその記憶を忘れかけたころ、「越の山路」さんが梨ノ木峠を取り上げてくださいました。それで「黒川村誌」などをゴソゴソ取り出して読んでみると・・・。面白い!戦争を面白いと言うのもナンですが、なかなかドラマチックなのですよ!
たとえば「米蔵」の話。鍬江集落にある「○に米」印がある米蔵を、新政府軍は「米沢藩」陣地と誤認、砲撃を行う寸前だったところ、住民があわてて引きとめた、そんな話があります。「○に米」=「米沢藩」ねぇ。戦争っていうものは、時に冷静な判断力を失わせる、そういう事でしょうか。
また、この戦争では、夏井集落などは一軒も残らず焼かれた、といいます。ソレガシの同級生、S君やM君のご先祖様も、直接戦火に晒されたんですね。。。また、坂井集落で発掘調査された「坂井城」というお城、中世山城との予想で掘り始めたらしいですが、詳細に検討すると、この梨ノ木峠での戦争に関連した官軍の台場だったのでは、という説が急浮上したらしいです。坂井から夏井・坪穴を砲撃かぁ。。。今は静かで美しいこの山間の地も、こんな血みどろの歴史があったのですね。しかもほんの百数十年前に。
この日、ご一緒頂いたのは「越の山路」の瀬賀さん。ふたりで梨ノ木峠周辺のゆかりの地、「米沢様」「千人塚」「百人塚」「焼け残りの大欅」などを探して回りました。瀬賀さん、有難うございました。本当は、米沢藩が構築したという陣地や、官軍の台場であった可能性も指摘されている坂井城なども興味がありましたが、これはまた今度ということにします。