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日川対岸から見る勝沼氏館。断崖に面した堅固な崖端城です。昭和六(1931)年に架けられたという祝橋のアーチ姿も美しいです。 |
勝沼氏館の内部は発掘調査に基づいて史跡公園として綺麗に整備されています。これならオールシーズンOKですね! |
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主郭の周囲をめぐる堀1。外郭からの深さは2m程度です。 |
反対側から見た堀1。高い土塁も印象的です。このあたりはかなり復元による手が入っていると見ていいでしょう。 |
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模擬橋が掛けられた北門。奥は武者溜りになります・この外側にも曲輪があったようですが、ぶどう畑になっていて入ることができませんでした。 |
模擬橋(奥)と空堀2。この堀は土塁の内側に築かれており、東側では消えてなくなります。北門の防備を固めるための部分的な改修と見ていいでしょう。 |
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館の中心部、主殿(主屋・手前)と常の御座所(奥)。いずれも回縁を持つ礎石建物だったようですが、規模は実に小さい。 |
賓客の対面所となった会所。ここも回縁の礎石建物だったようですが、こんなに狭くて回縁もあったんじゃ、部屋の中は茶室並みの狭さだったでしょう。 |
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ここの魅力は内郭をクネクネ走る水路遺構。ここは工房水溜。刀鍛治などに利用したのでしょう。 |
内郭を仕切る土塁、と思いきや、築地塀の跡(一部)だそうです。この奥(東側)が城主のプライベートゾーンになるのでしょう。 |
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台所周辺の水場遺構。少女時代の理慶尼もここで水を汲んだりしていたのかな。 |
雪隠、トイレです。掘ると臭うかもしれません(嘘)。台所と近すぎて、O157などの感染症が多少心配ではあります。 |
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東門脇にある櫓台。といってもとても小さいもので、あまり見栄えのする建物はなかったでしょう。 |
土塁上から見る東門。門の外に小規模な枡形空間があり、石積みの上に橋が懸かっています。無論、復元です。 |
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東門を堀底から。基本は土のお城ですが、要所要所には石積みもあったようで、躑躅ヶ崎館との共通点も想像されます。 |
ワインセンター脇の畑地では、今もなお発掘作業が進んでいました。今後の成果がまたまた楽しみです。 |
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主郭の100mほど東の外郭部は、中世の浄水場施設が復元展示されています。遠い時代の人々の知恵の足跡がそこにあります。 |
これが深沢用水の水を受ける受水槽、言われなければ水堀かと思ってしまう。 |
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ちょっと分かりにくい写真ですが、畝堀みたいな形の堰門。この堰で水の汚れを沈殿させ、綺麗な水だけが用水として内郭に引き込まれます。 |
左の溝が汚泥処理用の排水路、右が上水路。科学もヘチマもない時代の人々の創意工夫に感動。 |
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外郭部に復元された土塁。本来の館は結構大きな城館であったようです。 |
外郭部に復元された武家屋敷。屋敷といっても掘立の粗末なものですが、中世の武家屋敷ってこんな感じだったんでしょう。柱や梁なども本格的です。周囲には厩や井戸などもあったようです。 |
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駐車場脇の、理慶尼が建立したという勝沼氏の供養の地蔵、当時のものは失われ、近年子孫の方が再建したものだそうです。 |
附近の大善寺に眠る理慶尼の墓。婚家を追われ落飾した理慶尼は武田滅亡の悲劇をも目にすることに。その無常観溢れる世界は「理慶尼記」として残されています。 |