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山麓から見あげる鷲尾城。比高は150mちょっとですが、なかなか手ごわい山です。 |
麓の大日堂あたりから登ります。この大日堂は真田氏ゆかりのものだそうです。 |
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岩だらけの急坂が延々と続く登山道。かなり足腰にきますが、それだけの苦労の甲斐があります。 |
山腹に現れた石積みに励まされ、急坂をもう一息! |
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おおっ、なんじゃこりゃ〜!木々の合間から見えてくる見事な石積みに疲れが吹っ飛ぶぜ! |
ちょっと写真はイマイチですが、この崩れかけた虎口がまたたまりません。 |
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この石積み、この石の色、この反り、この高さ!部分的に崩れていますが、そこがまた風雪を感じさせてくれます。これぞ古城。 |
これだけ大量の石をどこから持ってきたのか、この謎はこの数分後、山の上の古墳を見て解けました。 |
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鷲尾城の城址碑と簡単な解説板。倉科氏についてはサラッと簡単に触れられているだけでした。 |
主郭は30m×20mほどの変形楕円形。曲輪はもうひとつ背後にありますが、主要な曲輪はほぼこの主郭のみと言ってもいいでしょう。 |
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主郭の背後の土塁、というか石塁。この地方の山城は尾根続きに配慮する必要のある地形である場合が多く、定番ともいえます。 |
主郭背後の二重堀切、堀1&2。主郭からの深さは7mほどもあり、夥しい石塁の破片が散乱しています。 |
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小さな曲輪Uを超えて、三重の堀切3・4・5へ。写真はイマイチで申し訳ないですが、深さ2〜3m程の堀が連続し、竪堀が山腹で合流しています。 |
五世紀ごろの前方後円墳という倉科将軍塚。これ自体、史跡として貴重ですが、この古墳もまた縄張の一部を為すものであったのです。 |
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古墳背後の深〜い堀切6。これにより、古墳が曲輪として認識されていたことが分かります。古墳には主郭と同様な石がところどころ残り、主郭の石がこの古墳のものであったことが想像されます。 |
その堀切6、深さは最大で10m、天幅は20m近く、さらに尾根幅が広いので、非常に長〜く続いています。 |
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堀切7の北端。この堀の両端はどこまでも続く長大な竪堀に繋がっています。 |
さらに高い場所にあった堀7。こちらは深さ3m程度ですが、ここも尾根幅が広いので長〜く繋がっています。真ん中に土橋があります。 |