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大祝諏訪氏の平時の居館であった神殿から見る干沢城。神に仕える身とはいえ、イザ有事にはあの山城に立て籠もる、というわけです。 |
その干沢城、杖突峠のまさに直下にあり、脇をR152が通り抜けます。写真の陸橋の下あたりから登り口があります。 |
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「干沢城へ」の小さな看板に従い谷津の中へ。安国寺の古い墓地あたりから登り始めます。 |
比高60mほどとは言いながらも、ほとんど直登に近いこのダラダラ坂は結構しんどいです。 |
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上り詰めるといきなり目の前に配水場が。このあたりには大堀切でも欲しいところですが、かなり改変されていて遺構と呼べるものはありませんでした。 |
いきなり主郭の塁壁に取り付きます。途中ちょっと虎口のような場所があります。 |
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主郭はまずまず綺麗に整備され、城址碑や城歴を記した解説板などが立てられています。 |
こちらはⅡ曲輪。このあたりまでは下草も少なく快適。 |
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Ⅱ曲輪にある戦闘用の礫石という塚。しかし投石用ならなぜこんな引っ込んだ場所に置くのか、理解に苦しみます。 |
石の大きさは拳大から子供の頭くらいのものまでいろいろ。経塚か、耕作の際に邪魔な石を集めただけにも見えるんですが。。。 |
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堀1は東側が竪堀になっていますが、西側は中途半端に終わっています。一時全山耕作されたらしく、結構改変されている場所もあるようです。 |
鉄塔の立つⅢ曲輪あたりからだんだんヤブ城っぽくなってきます。附近には小さな平場が沢山ありますが、どこまで遺構なのか判断が難しい。 |
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堀2はカタチははっきりしていますが、結構ヤブです。大きさもつつましやかなモンです。 |
堀3は中途半端な竪堀状のもの。これも遺構かどうか怪しいもんです。 |
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Ⅳ曲輪東の帯曲輪にあった石。こっちの方が投石用っぽく見えます。 |
配水場の尾根続きには二条ほどの堀切がありますが、峠に対する防御力はゼロに近い。ちょっと背後の守りが心もとないお城ではあります。 |
神殿(ごうどの) |
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諏訪大社前宮が大祝家の居住地であった神殿の地。しかし血の凶事もまたここで起こったのであった・・・。 |
前宮脇には神殿や、諏訪家の内訌について記された解説板もあります。 |
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これが神殿の土塁、この地方でいう「クネ」というやつらしいですが、道路やらなにやらで遺構なのかどうかさっぱりわかりません。 |
参道手前の低湿地は堀にも見えますが、気のせいですかね・・・。 |