高館城は黒羽城の北、伊王野城との中間附近にあり、それほど高い山ではないながらも突出した異様な山容は遠目でもなかなか存在感を放っています。直下の県道には高館トンネルが貫通しており、トンネルの北側300mほどの場所から山頂付近まで、綺麗な舗装道路があり、車で楽々登れます。
高館城の伝承は古く、あの那須与一宗隆の父、資隆が築いたとも云われています。ということは与一が生まれたのはまさにこの高館城であったでしょうか。これとは別に、源平争乱に際して平氏に与した与一の九人の兄がこの高館城に立て籠もり、頼朝に派遣された梶原景時によって攻め落とされた、などという話もあります。ただ、実際に平安末期のこの時代に山城を居城としていたとは考えにくく、与一出生伝説も与一の兄たちの籠城伝説も、あくまで「伝説」と捉えたほうがよさそうです。
実際には、那須氏から分かれた一族の河田氏の館がすぐ近くにあり(現在は湮滅)、その要害だったのではないか、というのが妥当な線でしょうか。あるいは位置的には那須領北方の狼煙中継点のひとつと捉えることもできそうです。
この手の急峻な山は得てしてあまり人工的な遺構を残さない場合が多いのですが、高館城も例外ではなく、遺構面ではあまり目立つものはありません。山の上は一応平場にはなっていますが、削平自体は甘く、自然の傾斜をそのまま残しています。曲輪の周囲もきちんとした切岸にはなっておらず、大手口と思われる経路上に腰曲輪を組み合わせたものがある程度です。那須氏の城館によく見られる大規模な横堀などはなく、それどころか堀切らしきものも見当たらないという、ごくごく原始的な山城の形態を残しています。
現在の高館城は自然公園として綺麗に整備されています。ここは遺構よりも何よりも、その山頂からの景色がまさに絶景。広がる那須野の原、遠く聳える那須高原や日光連山、そして眼下を黒々と蛇行する那珂川の美しさ。何度か足を運んでいますが、季節や時間帯によっても様々な違った色彩の景色が見られ、心奪われるものがあります。この景色、ぜひ味わってほしいです。想像を逞しくすれば、弓の稽古に汗をかく那須与一の姿や、不敵な笑みで采配を振るう大関高増などの姿が浮かんでくる・・・かもしれません。
[2005.04.18]
|
高館城平面図(左)、鳥瞰図(右)
※クリックすると拡大します。 |