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烏山の弱点を補う小城砦

神長北要害・神長南要害

かながきたようがい かながみなみようがい

Kanaga-kita-Yougai Kanaga-Minami-Yougai

別名:

神長北要害の横堀

<<2004年12月26日>>

所在地
栃木県那須烏山市神長 北要害 南要害 
埋もれた古城マップ:栃木編
交通アクセス

東北自動車道「矢板」IC車30分。

JR烏山線「烏山」駅徒歩30分(南要害)、45分(北要害)。

行き方・注意点

北要害:ふう月CCへのアクセス道脇の神長神社の東側山林を直登もしくは丘陵南端から直登。案内や管理された道は無い。現況はやや荒れた山林。

南要害:県10旧道沿いの資材置き場付近から直登、もしくは南側の烏山天文観測所付近から山林に入る。 

【基本情報】

築城年 不明 主要遺構 曲輪、土塁、横堀、堀切
築城者 不明(那須氏か) 標/比/歩

北要害:標163/比50/歩50

南要害:標162/比50/歩20

主要城主 不明(那須氏関連か) 現況 山林

【歴史】

築城時期や城主などの詳細は不明。烏山城の衛星支城として機能していたと思われる。

神長北要害・南要害平面図(左)、鳥瞰図(右)

※クリックすると拡大します。

【雑感】

烏山城の西側から南側にかけての山続きに、神長北要害神長南要害というふたつの小さな砦があります。これらの歴史的背景は全く分かっていませんが、位置的に考えて烏山城の周囲に設けられた支城として機能していたのは間違いないでしょう。城主もわかりませんが、こうした小城砦の場合、特定の城主はおらず、在番制で維持していたとも考えられます。

この神長附近では、永禄九(1566)年八月、佐竹義重配下の東義堅が「治武内山」に攻め寄せ、緒戦では千本城や茂木城の攻略に成功したものの、作戦の乱れから大将はじめ20人ばかりが孤立してしまい、那須氏側からの降伏勧告でやむなく降参した、などという話があります。この東氏が降参したあたりを「降参峰」などともいうようですが、その場所ははっきりわかりません。これらの場所は烏山城の西側にあたり、烏山城にとっての弱点にもあたるわけですが、このころ神長北要害・神長南要害が成立していたかどうかはわかりません。もしかしたらこのときの教訓をもとに、那須氏が烏山城の欠点を補うべく、構築したのかもしれません。

神長北要害・神長南要害はごくごく小規模な砦で、現状では満足な道すらありませんが、その遺構は実に良く残っています。

神長北要害は「ふう月CC」への道路脇の山の端にあり、比高は40mくらいでしょうか。ヤブの中を強引に突っ切って、「ホントにここでいいのかなあ?」と思った頃に突如、鋭い堀切が目の前に現れて驚きました。北側が山続きになっていて若干標高が高いのですが、そうしたことはあまり気にせず、ひたすら南側からの敵襲にのみ備えているように見えます。基本的には単郭の砦ですが、背後に大きな堀切を持ち、周囲にはグルリと横堀が取り巻いています。小規模ながらもなかなか考えられたお城という感じで、施工も丁寧にされています。ごくごく小規模の戦闘を意識したものなのでしょうが、少人数でもきちんと守れる縄張りで、ソレガシはこういうお城は好みです。神長神社の道路を挟んだ向かい側あたりの斜面から取り付いて、北側の尾根続きをぐるっと迂回して行くといいでしょう。道路から見たら二つ目の尾根の先端が場所です。尾根先端附近に道があるようですが、どこに繋がっているかは確認していません。

神長南要害は現在の神長トンネルの上を走る旧道沿いに設けられた砦で、比高は50mくらいでしょうか。基本は神長北要害と同じく、主郭の周りを横堀がめぐるスタイルですが、神長北要害よりもやや規模は大きく、2ないし3つの曲輪を持っていたように思われます。ただ、個々の遺構は神長北要害の方がエッジが利いていて、見ごたえでは少し負けているかな。こちらは西側から烏山の城下町へと向かう峠道の監視が主な任務だったように思われます。こちらは旧道の峠道頂上付近で、南側に資材置き場のようなものがありますので、そのあたりから適当に取り付けば、あちこちに道らしきものがありますので何とかなるでしょう。あるいは烏山天体観測所を目指せば、その裏手の山続きに遺構があります。

[2005.03.13]

神長北要害遠景。このあたりならどこにでもある、なだらかな丘陵の突端に位置します。 しばらく山中を彷徨うと、突如目の前に現れた堀切1。深さはT曲輪側で6mほどもあるでしょうか。
曲輪の中は山林ですが、歩けないほどではありません。北側の堀切に面して、ひときわ高い土塁があります。 南側先端部にも土塁があり、開口部があります。このお城には二箇所、虎口があるようです。
主郭先端の堀切2。深さはT曲輪側で3mほど、緩やかな弧を描いています。 同じく堀切2。両端は竪堀となり、横堀に繋がります。
主郭を全周する横堀3。小規模ながらもきちんと作られていて、北要害では一番の見所。 横堀を分断する竪堀4。ただの崩落にも見えますが、南要害にも同じような部分があるので、やはり意図的に作ったものでしょう。
主郭の東側から入る土橋。本来の登城路はこの東側から、南の尾根にかけて道があったようです。 北側の尾根続きを確認しにいくと、ゴルフ場に出てしまった・・・。ソレガシを見つけた人がいたら、山の中から怪しげな人物が出てきてさぞ驚いたに違いない。。。
こちらは神長南要害の遠景。神長トンネルの上、やや南側の尾根にあたります。 神長トンネルの上を走る旧道。旧道と言っても二車線の立派なもの。写真に写る小屋の裏手が目指す南要害。適当にその辺から取り付きましょう。
北要害と同じく曲輪を取り巻く横堀。ただ、北要害に比べるとやや小さい気がします。 尾根の先端にあたる堀5。ごくごく小規模な堀です。
主郭は北要害よりやや広く、40×20mほどでしょうか。ここも山林化していますが、歩けないほどではありません。南要害も二箇所の虎口があり、北要害と考え方はかなり一致しています。 主郭の土塁。東側に面してのみ土塁が設けられており、街道交通を意識したものと思われます。
尾根続きを切る堀1。この先にも堀がありますが、いずれも非常に小規模なもの。図でU曲輪とした部分もほとんど地山のままで、やはり基本は単郭構造と見ていいでしょう。 一応V曲輪とした烏山天体観測所附近。ただ、このあたりは完全に城外という気もしないでもありません。
訪城記録

(1)2004/12/26

参考サイト

余湖くんのホームページ 栃木県の中世城郭

参考文献

「那須の戦国時代」(北那須郷土史研究会 編)

図書

那須の戦国時代

下野新聞社 北那須郷土史研究会(編)

那須地方の戦国史を知るバイブル的な一冊。現在入手は難しいようだが、古本市場で見つけたら入手を推奨。

周辺地情報

まず烏山城をしっかり押さえておきましょう。興味があれば稲積城なども。

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