丸墓山・石田三成陣 (2003.08.03)

埼玉県行田市埼玉

「さきたま古墳群」の中の「丸墓山」は、石田三成の忍城水攻めの際の本陣としても有名です。「石田三成陣城」として採り上げてもよかったんですが、特に陣城らしい遺構もなく、実質的には「城」と呼ぶにはちょっとなあ・・・という感じなので、とりあえず忍城と一緒に紹介しておきます。

さきたま古墳群はたぶんこの地方でも有数の観光名所なんじゃないですかね?ソレガシが行った日も、多くの人が訪れていました。実は恥ずかしながら、ソレガシははじめて行ったのですが、巨大な古墳が本当に「群」になっている様子はなかなか非日常的な感じがしますね。あれだけ大きい前方後円墳は初めて見ました。

「丸墓山」は円墳で、なんでも円墳としては日本最大なんだとか。高さは20m弱、ちょっとした小山という感じです。果たして頂上からは、忍城の姿が一望のもとに!得意の絶頂にある三成気分を味わうには絶好のスポットといえるでしょう(笑)。ちなみに三成クン、その直後に水攻めの堤が決壊して味方の兵数百人が溺死、忍城も結局は小田原城陥落後まで持ちこたえてしまい、「得意の絶頂」から「絶望のどん底」へ・・・。名城・忍の浮き城伝説とともに、三成クンの『大失策』も長く語り継がれることに。えっ、「もっと良いことで語り継がれたかった」って?いいじゃないですか、どんな失敗策だって四百年も語り継がれるんだから。これも立派な「武門の誉れ」ですぜ!

これが丸墓山でござる。高さ18.9m、直径はなんと102mもある!古代人って、結構ムチャなもの作るよなぁ・・・。 古墳の周りには天然の湿地を利用した堀が広がります。別に三成クンが掘ったわけではないようです(笑)
丸墓山古墳の解説板。おお、しっかり三成クンのことも書いてあるではないか!しかしこの時代の人は「古墳」ていう言い方してたのかな? で、登ってみました。ここが三成の本陣か。なかなかイイ気分です。あとから登ってきた人が「なんにもないじゃん」てボヤいてたけど、当たり前ですって・・・。
いよいよ三成気分で忍の街中を覗いてみる。どれどれ、忍城はどこに見えるかのう? あった!いろんな建物に埋まり気味ですが、御三階櫓がしっかりと。三成時代にこんな櫓があったかどうかはともかく、遮るものもほとんどなかっただろうから、敵城のようすがよく見えたでしょう。
さすが「古墳群」というだけあって、たくさん古墳がある。それも、普段お城で出くわす小ぶりなのと違ってデカイです。 この見学用の通路は何を隠そう、「石田堤」の一部なのです。失敗だっていいじゃないか、こんなに名前が残るんだから。

忍城へ

 

参考文献

「日本城郭大系」(新人物往来社)、「日本の城 ポケット図鑑」(西ヶ谷恭弘/主婦の友社)、「埼玉の古城址」(中田正光/有峰書店新社)、小説「水の城いまだ落城せず」(風野真知雄)、現地解説板

参考サイト

帝國博物学協会 城郭研究部

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