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商業と芸術の町、笠間の街を見下ろす佐白山のほぼ全山が笠間城。珍しい本格的近世山城のひとつです。 |
北側から見上げる佐白山。とんがった山頂に天守が聳えている様は実に絵になる光景だったでしょう。 |

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国道50号沿いに残る坂尾土塁。立派な枡形を形成しています。隠れたオススメ遺構。 |
山麓の下屋敷は近世笠間城の実質的な中核部です。周囲は公園になっています。 |

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山麓の公園に復元(?)された物見櫓。しかし近世城郭の櫓としては貧弱すぎる気も・・・。 |
実は笠間にいたこともある大石内蔵助の像。浅野氏はここ笠間から播磨赤穂に移封になりました。そんなわけで市内には浅野・大石がらみの見所もいろいろあるらしい。 |

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このあたりの屈曲した道が本来の大手道か。 |
登山路の途中にある大黒石。鎌倉初期、佐白山の僧兵と徳蔵寺の僧兵の争いの際、佐白山勢が山上から転がして徳蔵寺勢に大打撃を与えたという伝承がある。後ろに見えるのは初代ネゴヤ号。 |

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大手門手前の千人溜り。駐車場になっています。この上は通行止めなので歩きましょう。道沿いに沢山の遺構を目にすることができます。 |
駐車場の脇の大手口。土塁や堀、石垣などが見られます。緑が美しい! |

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大手口は外枡形、もしくは角馬出しであった可能性もあります。 |
道沿いに進むと苔むした石段が。二ノ門から玄関口門へと向かいます。 |

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二ノ門から玄関門付近の虎口石垣。問題のマネキン生首はこの写真の右側にあったのだ。ヘンなイタズラするんじゃないって! |
本丸裏門直下にある玉滴ノ井。今でも水が湧き出ています。 |

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中腹の広大な平場がいわゆる本丸にあたる場所です。しかし近世にはここもほとんどお飾り程度、お城の中枢機能はほとんど下屋敷に移されていたと思われます。
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本丸の南側の大土塁。ただの土塁というよりも多聞櫓でもあがっていたのでしょうか。
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本丸土塁先端の八幡櫓跡。櫓そのものは城下の真浄寺に移築現存しています。 |
こちらは本丸西端の宍ヶ崎櫓跡。見晴らしの良い尾根の先端で、ここにも二層の櫓が置かれていました。 |

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本丸曲輪と天守曲輪を隔てる堀切。この先の石段を登りきったあたりが天守台となります。 |
苔むした天守曲輪への石段がとても美しい。登りは急ですが距離はほんのわずかで、すぐに天守台が見えてきます。 |
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これぞ関東随一ともいえる天守台。これは天守曲輪の入り口に当たり、天守そのものは数段上の曲輪にあります。 |
うわゆる打ち込みハギってやつですかね。やはり蒲生氏あたりが持ち込んだ畿内・西国の築城技術なんでしょうかね。 |
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天守台上から虎口の急な石段を見下ろす。 |
天守台の上に鎮座する佐志能神社社殿。天守の廃材が使われているといわれます。確かに柱などには「いかにも転用」というようなホゾ穴が空いていたりします。 |
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佐志能神社裏手の築地塀はなんと天守の瓦でできているそうだ。こんなところにもしっかり天守の面影が生きている! |
天守台裏手の急な斜面。巨石だらけの急斜面を鎖を頼りに降りてゆきます。 |
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石垣の用材に使われたという巨石が転がる石倉。一部に矢穴の跡が明瞭に見られます。 |
「いや~、いい谷津田だなあ」と感慨にふける遠山サエモンジャー殿。谷津田に感動してしまうあたりが千葉県民っぽい。 |
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オカ殿が調査した知られざる中世期遺構を見に行く。道はしっかりしています。切岸の鋭さがいかにも中世城郭っぽくて好きです。 |
天守曲輪北側の中腹、仮称・裏門。土塁の虎口がしっかりと見られます。 |
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こちらは天守曲輪南側の中腹にある横堀。こんなのが随所に見られます。 |
さらに本丸西側あたりにも横堀が。隠れた遺構があちこちに散らばっています。深いなあ・・・。 |
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そして小雨の中を進むヤブレンジャー。千人溜まりから谷を挟んだ対岸にも曲輪や堀が数多く見られます。 |
百坊の谷を挟んだ西側の堀切と土橋。 |
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これは黒門跡の石垣でしょうか。 |
こちらは中世寺院であったという笠間百坊跡。数段の削平地があり、実質的には出丸として用いられていたものでしょう。 |
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百坊の周囲にも立派な横堀がグルリと取り巻いています。これだけ広い範囲に遺構があると、縄張図を描くのは大変だったでしょうな。。。。 |
おお、こんなところに天守だ!何らかの宿泊施設であったらしい怪しい天守。無論遺構とは何の関係もありません。 |
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浄化の真浄寺に仏堂として残されている八幡櫓。近世城郭の櫓の寺社建築風の玄関を着けた不思議な形。 |
斜め後ろから見る。こうして見ると城郭建築物そのものです。必見! |