関東随一、石垣天守台が堪能できる
笠間城
かさまじょう Kasama-Jo
別名:桂城
茨城県笠間市佐白山
築城時期
築城者
主要城主
遺構
天守台石垣と石段<<2006年05月27日>>
もともとこの佐白山には、正福寺、百坊などの宗教勢力があり、僧兵たちが籠っていた。
承久元(1219)年、下野守護・宇都宮頼綱が一族の時朝に命じて佐白山に笠間城を築城させた。 持朝はのちに笠間氏を称し、戦国末期まで宇都宮一門として約380年間、この地を支配した。
天正十八(1590)年の小田原の役では、宗家である下野宇都宮城主、宇都宮国綱が豊臣方についたのに対し、笠間綱家は北条氏に味方した。小田原城開城ののち、宇都宮国綱は秀吉の命で笠間氏を攻め、箱田村で討ち取り、笠間氏は滅亡した。
笠間氏滅亡後は蒲生・松平・小笠原・永井・浅野・井上・本庄などの諸氏が入れ替わり、延享四(1747)年から廃藩までは、牧野氏代々の居城となった。忠臣蔵で有名な浅野氏は、ここから赤穂藩に移った。
なお現在残る石垣類の遺構は蒲生氏の年代に当たるものと思われる。
何とも言えない妖気の漂う城です。見学当日、三の丸から二の丸に登る石段の横に、誰かが悪戯で置いて行ったマネキンの生首が置いてあって、不気味さ二倍でした。実はこれも二回目の見学。一回目のデータをHDDクラッシュで失ってしまって、仕方なく後日、もう一度見学しました。このときは、前回見ていなかった江戸期の藩庁跡なども見れたので、まあよかったかな、とは思います。そういえば一回目のときは、途中で駐車場に向かう道に迷って、散々山の中を彷徨いました。二回目のときは、前述の生首事件と、カメラが途中で調子が悪くなり、下山後再度駆け上って撮ってきました。なんかありますよこのお城は・・・。
オカルトネタは置いておいて、笠間城は中世期には宇都宮氏の一族が笠間氏を称して居住しました。天正年間には隣国・下野の益子氏と激しく領界争いをしていたらしいですが、宗家の宇都宮氏は和睦を仲介する力ももはや無かったんでしょうか。笠間氏滅亡後は蒲生氏が城主となります。今に残る石垣の天守台などはこの時代に概ね形が整えられたものでしょう。あの忠臣蔵で有名になる大石内蔵助が居城としていた時代もあります。
笠間城の遺構ですが、ごく大雑把に分けると佐白山山頂の天守台、その中腹のいわゆる本丸を中心としたエリア、そして山麓の屋敷に分かれます。しかしこの山全体にどれくらいの遺構があるのか、正直なところ全貌が分かりませんでした。しかし「図説茨城の城郭」制作にあたり、オカ殿が精密な縄張図を描いてくれました。なんと山全体に無数の遺構が!というわけでオカ殿に案内してもらったのですが、あちこちに横堀や堀切が隠れているのが実に印象的でした。近世城郭としても用いられた関係上、中世期の遺構がどれだけあるのか、どんなお城だったのかが分かりにくくなっていますが、山腹の横堀や堀切などは中世期のものと見て間違いないでしょう。あちこち案内してもらいながら「オレが担当じゃなくて良かった・・・」などと思ってしまいました。広大かつヤブも少なくないこのお城を描ききってくれたオカ殿に感謝。ソレガシはこのお城は描いてませんので、図を見たい方は「図説茨城の城郭」をぜひどうぞ。
しかしなんと言っても最大の見所は天守曲輪の石垣。関東では石垣の城自体が珍しいのですが、こんなに堂々とした天守台はほかでもあまり見られません。基本的な技法は西国の織豊系城郭のものを採り入れているようです。この山頂の佐志能神社の社殿は天守を解体した廃材で作られた、と伝えられていますが、その真偽は不明ながらもたしかに社殿の柱には意味不明なホゾ穴が空いていたりして、いかにも廃材を再利用しました、という雰囲気があります。さらに裏手の築地塀はよく見ると瓦が転用されていますが、これも天守廃材だったということです。姿は変わり果てても、しっかりここに天守が建っていたことを身をもって証明しているかのようです。なお天守そのものは失われましたが、山麓の真浄寺には移築された二層の八幡櫓が残っておりこちらも必見中の必見です。天守曲輪の裏(搦手)は非常に急な岩場になっていて、巨大な石がゴロゴロしています。その先の「石倉」もぜひ見て欲しいです。ここでは石垣の用材の切り出しが行われていたとのことで、今も生々しい矢穴(楔の跡)が残る巨石が横たわっております。
考えてみれば関東においては「近世山城」という存在自体がかなり珍しいケースであり、石垣の天守台や移築現存櫓まである笠間城は異例中の異例であるとも言えます。関東圏の方には是非一度、足を運んでみることをオススメします。
[2006.1123]
中腹の広大な平場がいわゆる本丸にあたる場所です。しかし近世にはここもほとんどお飾り程度、お城の中枢機能はほとんど下屋敷に移されていたと思われます。
本丸の南側の大土塁。ただの土塁というよりも多聞櫓でもあがっていたのでしょうか。
交通アクセス
北関東自動車道 「友部」ICより車20分。
JR水戸線「笠間」駅徒歩30分。
周辺地情報
あまり近くにコレといったのが無いのですが、旧友部町域の小原城など。もしくは国道50号を西へ向かって、笠間・益子合戦の舞台となった羽黒山城、橋本城など。
関連サイト
「日本名城の旅 東日本編」(ゼンリン)
「日本の城ポケット図鑑」(西ヶ谷恭弘/主婦の友社)
「日本城郭大系」(新人物往来社)
「図説 茨城の城郭」(茨城城郭研究会/国書刊行会)
現地解説板
参考サイト
常陸国の城と歴史 余湖くんのホームページ