<<「廃城奇譚」飛騨の旅:初日>>

(ヤブレンジャー&巡城組 合同山岳演習)

2005.11.03(木・祝) 曇りのち雨

ソレガシが「飛騨」を意識しだしたのは、城郭文学史上に燦然と輝く名作「廃城奇譚」(南條範夫 著)と出会ったころからであった。「横尾城の白骨」「亀洞城の廃絶」「高山城前史」「帰雲城三代」など、全部本当だと思っていたほどだ。それが本当であれ嘘であれ、もはやどっちでもいいことである。とうとう「廃城奇譚」の飛騨に足を踏み入れるのだ。出発前からすでに頭の中では「うぬ、卑怯者め!」と南條セリフが渦巻いているのであった。今回は、ヤブレンジャー(オカレンジャー、オレンジャー、ソレガシ)と巡城組(ちえぞー殿、とも殿、ぶん殿)の初の合同合宿という豪華オマケつきである。飛び石連休の中一日を強引に休んでの「廃城奇譚」ツアー、安房峠の向こう側には南條ワールドが広がっている・・・筈である。

以下、岐阜県。

巡城組とは

ヤブレンジャーとは

見学先 神岡城、江馬下館、高原諏訪城、増島城、高山陣屋、松倉城、高山城、尾崎城、畑館
メンバー オカレンジャー殿、オレンジャー殿、ウモレンジャー(以上ヤブレンジャー)

ちえぞー殿、とも殿、ぶん殿(以上巡城組)

前夜 例によって例の如く、前夜に出発。夜中に中央道で松本まで走り、ここから国道158号で安房峠を越え、国道471号に入って高原川に沿って神岡まで向かうのだ。夜中の安房峠越えはなかなかスリリングである。03:00ごろに神岡の手前の「道の駅」にピットインし、寒〜い中で車中泊。この寒さも「飛騨」の空気だと思うと嬉しい・・・?

06:40 

■神岡城(飛騨市)
ふーん、神岡町って飛騨市になっちゃったんだ・・・。神岡といえば鉱山の町であり、宇宙の彼方から飛んでくる素粒子・ニュートリノを捉える「スーパーカミオカンデ」の町でもあるのだが、四大公害病のひとつ「イタイイタイ病」の原因となったカドミウム鉱毒汚染が問題になった歴史もある。ソレガシは子供の頃に「イタイイタイ病」のことを知って、とても恐ろしく感じた覚えがある。そんなマイナスの現代史もまた、忘れたり覆い隠したりしてはいけないことだろう・・・。

安房峠の麓で寒い一夜を過ごし、記念すべき飛騨最初のお城は模擬天守のある神岡城である。おれんじゃあ殿がこのお城を攻略していなかったというのは意外であった。お城は郷土資料館や公園などになっているが、たぶん規模はそんなに大きくなかったのだろう。武田氏の飛騨前進拠点みたいな位置づけのお城であるが、戦国時代に安房峠を越えてココまで来てしまうとは、なんたるド根性であろう。。。さすが精強の武田軍団である。川べりに連なる鉱山の町・神岡は高台から見ると、まるで「ラピュタ」の世界のようであった。

一応しっかり空堀も残っている。紅葉も美しいなあ・・・。 おお、天守だ!ってまだ7時前なんですけどね。。。
07:10

 

 

■江馬下館(飛騨市)
飛騨の雄・江馬氏の平時の居館である。江馬氏は武田に付くか上杉に付くかで父子が相克し、挙句の果てに飛騨の統一を目論む三木氏に滅ぼされてしまった。「うぬ、卑怯者め」。
それはともかく、現在発掘・整備中であまり中には立ち入れない。明瞭な堀や土塁も見当たらないが、なんといっても庭園遺構が白眉である。しかし、因果なことに上杉VS武田の争いに巻き込まれてしまった江馬氏、庭園を愛でている心の余裕があったのか・・・?
なんかいろいろ工事中、って感じッス。

07:30

 

 

■高原諏訪城(飛騨市)
その江馬氏の詰城である。山城だがかなりの高さまで車で上れるので体力的には楽である。7時半とはいえ、曇り空の下での山の中はちょっと薄暗くて、クマとか白骨とかが出てくるような不安がある。。。

単純なお城と思っていたが、連続堀切や支尾根に設けられた放射状の竪堀、山麓まで届くかと思われる長大竪堀などはお見事、なかなかどうして戦闘的なお城である。思わぬ優良物件でちょっと得した気分。

寝不足もなんのその、朝から元気なヤブレンジャー。あっしはちょっと眠いッス。 おお〜カッチョエエ〜!。眠気を吹っ飛ばす見事な連続堀切。
09:10

 

■増島城(飛騨市)
金森氏が築いた飛騨の初期の近世城郭である。小学校の一角に石垣の天守台?と水堀が残る。飛騨では数少ない平城とのことだが、石垣は立派だがどんなお城だか全然分からない。まあ石垣を堪能できるということで良しとしますか。

石垣と水堀。天守は・・・あったのかなあ?

 

10:00

■高山陣屋(高山市)
現存する陣屋の中でもおそらくもっともよく建物遺構が残っているものであろう。天領陣屋としては唯一の現存のものであるという。かつ、飛騨高山の一大観光スポットでもある。ソレガシは建物のことはあまり詳しくないので、どこらへんがどうだ、とコメントすることができないが、コケラ葺きの屋根は実に見事である。建物の一角にあるお白洲部屋では、拷問器具が展示されたりしている。こういった陣屋というのは中世城郭の一角を使ったり、多かれ少なかれ丘や段丘端にあるものだと思っていたが、ここは完全に街の真ん中にあり、要害性のかけらもない。そのあたりがちょっと新鮮というか意外であった。陣屋の前に朝市が立っており、たくさんの人でごった返していた。

お代官様、「菓子折り」でございます。 お白洲と拷問用具。使い方はこちらをどうぞ
11:00

★巡城組と合流!
いよいよヤブレンジャーと巡城組(ちえぞー殿、ぶん殿、とも殿)の合同軍事演習がはじまる!初対面でも、「城」という共通語がある限り、すぐ意気投合してしまう。素晴らしいことである。行き先の選択や道案内、資料揃えなど、巡城組のみなさんにはお世話になりっぱなしなのであった。

■松倉城(高山市)
これぞまさに飛騨版「天空の城」であろう。ちょっと小雨模様ではあるが、ここを見ずに帰るわけにも行かない!ということで、まずはここから合同山岳演習開始。ここもかなり高いところまで車で登れるので体力的には楽である。遺構面の特徴はなんといっても本丸周囲の石垣であろう。この高い山の上によくもまあこれだけ石を積んだものだ、と感心させられる。古色蒼然とした石垣は美しい。小雨模様ではあるが、雨に濡れた石垣っていうのもまた美しいもんである。景色があまり見えなかったのがちょっと残念。石垣に感心する反面、尾根の防御は実に手薄で、基本的に「見せる」ことに主眼を置いた。近世城郭に近いコンセプトのお城といえるかもしれない。ここでおれんじゃあ殿とぶん殿の会話。

ぶん殿     :「あれ、ウモさんたちは?」

おれんじゃあ殿:「いいのいいの、そこら辺にいるでしょ」

ぶん殿     :「ヤブレンジャーツアーっていっつもこんな感じなんですか?」

おれんじゃあ殿:「みんな勝手に見て回っているだけだから。」

ぶん殿     :「・・・・・・・」

そう、こんな団体でスイマセン。みんな勝手に歩いているだけです。それでも実は見えないところでしっかり統制がとれているんですよ(?)。

うおおおお、こんな高い山の上にこんな立派な石垣が! みんな勝手に回っているように見えて、実は微妙に統制が取れているのだ。
12:50

■高山城(高山市)

なんだよ〜天気予報ぜんぜん当たらないじゃん!雨はますます本降りに。飛騨統治のシンボルとなる近世城郭・高山城は加賀藩の財政難により破却され、わずかにその痕跡を残すばかりとなってしまった。とはいっても、思った以上に曲輪の段々や、礎石らしきもの、また部分的に石垣などが残っていて、ある程度近世城郭としての体裁はつかめる。雨ではあるが、その雨に煙る本丸などは雰囲気も悪くない。この雨の中、独語系のぎゃーこくじんの観光客が本丸を歩いていて「オウ、ジー ヤブレンゲル ウント ジュンジョグ〜ミ!」などと言っていた(大嘘)。復原された大手門枡形の異常なでかさも印象に残った。南條範夫ファンには名作「高山城前史」でお馴染みの(?)舞台である。

雨でも何でも降りやがれってんだコノヤロ〜!!(ヤケクソ) 雨の本丸。雨のお城っていうのも風情があって、それはそれでいいモノです。
14:30

■尾崎城(高山市)
なにやら公園化で大変なことになっているらしい、とは聞いていたが、まさかここまで酷いとは。。。。本来、ウネウネの竪堀など、非常に緻密な縄張をもつお城であったはずなのだが、公園化でさっぱり遺構がわからない。城址公園の入り口には「尾崎城を永遠に残すため云々」と書かれていたが、これでは本末転倒である。昨今、城址公園とはいってもかなり本格的に調査した上でなるべく史跡を壊さぬよう、かつ時代考証に沿って復原したりするのが多いのに、この公園はまったくその逆である。しかも雨も酷い。天気予報も大外れである。「うぬ、恥知らずな!」なにやら腹が立ってしょうがない。ここはひとつ、責任者には石垣積み&石垣崩し67回!の罰(参考:「復讐鬼」)を与えよう。。。。なにやらせっかくの遠征なのにテンションが急降下なソレガシであった・・・。

「うぬ、極悪非道の卑怯者め!」

15:20

■畑館(高山市)

もう雨も酷いし、ハッキリ言って数稼ぎモードである。遺構らしきものは無い、というか、よくわからん。「畑六郎左衛門休高之碑」っていう石碑が立っていたが、そもそも「休高」って「やすたか」って読むのか。名前にこんな字を当てるなんて聞いたことないぞ。

16:00 天候の回復待ちのつもりで入ったマクドナルド、なぜ飛騨まで来てマクドナルド・・・・。しかし雨はますます強く、初日はこれにて終了、宿に向かうこととなった。なんか最後が締まらない一日であった。

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