<<「廃城奇譚」飛騨の旅:二日目>> (ヤブレンジャー&巡城組 合同山岳演習) 2005.11.04(金) 曇りのち晴 |
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今日はホントは平日であるが、飛び石連休の中日、休みを取ってしまいました。働いている同僚の皆様、稼ぎが悪いクセに休んでしまってスイマセン。といいつつ仕事のことなどほとんど気にしない自分が・・・。今日は天気も回復傾向だし、遺構面でも、南條範夫ファン的にも期待できそうな一日である。カバンの中には現地撮影用の小道具もしっかり入ってます。 以下、岐阜県。 |
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見学先 | 広瀬城、百足城、古川城、小鷹利城、向小島城、野口城、小島城 | ||||
メンバー | オカレンジャー殿、オレンジャー殿、ウモレンジャー(以上ヤブレンジャー)
ちえぞー殿、とも殿、ぶん殿(以上巡城組) |
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朝 | ちえぞー殿がわざわざ炊飯器を持ってきてくれて、朝から美味しい朝食を頂く。うーむ、こういうパターンははじめてだなあ。「巡城組」の細やかな心遣いに感謝! | ||||
07:50 |
■広瀬城(高山市) 技巧面では土塁と竪堀をズラリと並べた畝状阻塞が印象的なお城である。3つのピークを持つ峰に築かれており、真ん中の主郭には畝状阻塞はなく、その両側の曲輪と支尾根に集中して設けられている。要するに敵が取り付きやすい攻撃正面のみにこの畝状阻塞を設けているのだ。さらに主郭を除いて曲輪間の途絶は完全でなく、支尾根のみを堀切っている。このあたり、各曲輪が連動したり個別に防戦したりして多段的に防御力を発揮する関東甲信越の山城の考え方と根本的に異なっており、それぞれの郭が半独立の砦として機能し、曲輪の外縁で敵を「払い落とす」という、水際作戦的な発想が伺えるところである。これは多かれ少なかれ飛騨の山城の特徴であるかもしれない。技巧面も面白いが、こうした運用方法の違いを想像しながら歩くとより楽しい。ここは比高も低いしヤブも少なくオススメである。
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09:40
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■百足城(飛騨市) なぜ「ムカデ」などという名前がついているのか不思議な城である。というか、城としての規模は実に小さく、「砦」という方が相応しい。一応堀切があるが、これがなかったらほんとにただの小山に限りなく近い。順番的に古川城の前に見てしまったが、基本的には隣の古川城(蛤城)の支砦のひとつであろう。
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10:00
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■古川城(飛騨市)
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11:20
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■小鷹利城(飛騨市) ここは畝状阻塞や堀切、虎口、横堀などの遺構が充実している上、紅葉もきれいだし、なによりここがあの「亀洞城」だと思うと気分が高まる。尾根を歩いていても、「ここがあの宝物倉が大爆発して吹っ飛んだ尾根なんじゃないか」とか妄想。「主を殺し城を奪った八逆の大悪人め!」とかなんとかつぶやきつつ谷底を見ると・・・おお、牛丸定親、宗親兄弟の顔が谷底いっぱいに広がって、グルグル旋回しているではないか(そんなわけない)。完全にひとりでイってしまいました。。。 ここでは20数年ぶりに訪れたというおばちゃん集団と合流、おばちゃんたちにも無関係な尾根歩きをさせてしまった。てゆーかおばちゃんたちが道を覚えていればこんな苦労は・・・。主郭にはヤブレンジャー+巡城組+おばちゃん軍団の10名もの大軍勢が集結、ここで昼食。南條範夫もビックリの光景である。空が晴れ渡って、紅葉が美しい。
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13:00 | ■向小島城(飛騨市)
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11:00 |
■野口城(飛騨市)
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15:40 |
■小島城(飛騨市) この小島城とは、南條範夫の「戦国残酷物語」の「ハナノキ秘史」の舞台である「杉崎城」のことであろう。向井左近の卑劣さとともに、太郎時光の異常なまでの執念が印象的な逸品である。それはさておき・・・。 それはともかく、この工事のおかげで直登するはめに。結局こうなるのか〜。それが半端ではない急斜面で、アブナイアブナイ。おまけに薄暗くなってきた。ソレガシは下山の心配ばかりしていて、一番面白い部分を見逃してしまい、怨みつらみの残る城攻めとなった。薄暗くて写真もほとんど撮れなかった・・・。「おのれ、謀ったりな〜!」 |
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二日めはこれにて終了。なんと今日は7城全部山城、うち4城はまともな道を歩いていない。近くの温泉で直登続きの疲れを癒し、今回の旅で一番豪華な食事へ。「飛騨牛食うぞ!」と勇んで行ったものの、値段を見てフツーの牛(産地不明)にしてしまうあたり、やることが小市民というか、「俺も小せえなあ・・・」という感じ。。。。 |