<<安曇・筑摩電撃侵攻戦:3日目>>

2005.09.19(月・祝) 晴れ

少々疲れの残る三日目、前日までの疲れは結構足に残っているが、ダラダラしていてもしょうがない。むしろこういうときこそ歩くことでその疲れを克服しなくてはいけない。とまあワケのわからない理屈をこねながら、本日最初の目的地へ。帰りは上田市内を抜けて、上信越道方面に抜けるルートを取るつもりである。三日間天候も崩れずにラッキーであった。以下長野県。
見学先 塔原城、こや城、苅谷原城、岡城
メンバー 単独
9:40 ■塔原城(東筑摩郡明科町→安曇野市へ改称)
ここも比高差が高くて、かなり覚悟を決めていたのだが、なんと背後の長峰山頂まで立派な道路があり、塔原城はその道路のすぐ脇だという。こりゃラッキー。で、山頂近くで「戦国の山城 塔原城 300m」の表示があるが、どうにもいっこうに入り口がわからない。それもそのはず、上ばかり見ていたのだけれど、塔原城はこの看板の地点よりも尾根を下ったところにあったのだ。しかも入り口がヤブ化していて看板や道標が全然見えなかった。。。。やっと探し当てて、少し尾根を下ると、大小の堀切・竪堀がやたらと連続しているのがわかる。主郭背後の最大の堀切なんか見事なものだ。しかし本丸附近は完全にヤブというか、「虎狼の棲家」と化していた。せっかく案内板があっても、これじゃ誰も寄り付かないよなあ。。。背後の連続堀切は立派だが、全体的に小ぶりで単調な感じのお城である。この後、林道をさらに登って背後の長峰山の展望台へ。眼下に広がる安曇野の雄大な眺めを楽しんだ。
写真では分かりづらいが、大小の堀切・竪堀がポコポコと連続する。 主郭周囲は石積みだったのか、はたまた投石用なのか、結構石が散らばっている。
11:00

 

 

こや城(東筑摩郡明科町→安曇野市へ改称)
塔原城の山麓、会田川の蛇行部に突き出た断崖上に築かれた出城、砦である。周囲は断崖絶壁となっており、小さいながらもなかなか要害堅固である。ここは公園になっていて、割と気軽に立ち寄れるが、肝心の遺構はよくわからない。
川の対岸にやはり出城の茶臼山城があるのだが、渡河点がわからずにこちらは断念。

13:00

 

 

苅谷原城(東筑摩郡四賀村→松本市へ改称)
松本平から小県方面へ抜ける最短経路、苅谷原峠をおさえる要所のお城。地形図で見ると場所は実に分かりやすいのだが、アプローチできるルートがなかなか見つからない。というのも、周囲がほとんどキノコ山になっていて、「無断立ち入りは罰金二百万円」とか、ベラボーなことが書いてあるのだ。これじゃうかつに直登もできないしなあ、とグルグル回っていると、なにやらよさそうな道を発見、道の両側はキノコ山だが、この道をずっと進んでみると、キノコ山が終わって単なるボサ山が現れた。これである。で、あとは直登。山頂にはなんと城址の標柱が建っているが、ロクなルートも無いこの山に来る人がいるのだろうか・・・?ヤブもかなりのもんである。遺構は三方に伸びた尾根に堀切が何本かあるが、いずれも規模が小さい。曲輪も狭いし、こんなお城で峠の確保になるのかなあ??武田氏が改修したともいうが、あまりそんな風には見えない。
さてこの帰り道、主尾根筋を進んでいたつもりが、どうやら支尾根に迷い込んでしまったらしく、方向も現在地も見失ってしまった。行けども行けども山麓に近くならず、逆に鬱蒼とした深山に続いていく。こりゃイカンと安易に直降してしまったのが大間違いで、すさまじい崖や谷に行く手を阻まれて遭難寸前となった。とりあえず尾根に戻ろうと四苦八苦しながら斜面をよじ登ると、遠くに堀切が一本見えてきて、ようやく現在地を把握することが出来た。「命の堀切」に感謝!比高差の少ない里山だからといって甘く見ちゃいけないですね。

虎狼の棲家のような主郭。三方の尾根に遺構が残るが、規模そのものは小さい。
15:30

 

■岡城(上田市)
さあ疲れたし帰ろう、と思いつつ車を走らせると、「岡城址公園」の看板が目に入る。どうしようかあ、と迷ったが、「行きがけの駄賃」とばかりに立ち寄ってしまった。このお城は丸馬出しがある武田系の平城として有名なのだが、肝心の丸馬出しはもはやなんだかよくわからない。城址公園っていうからってっきり本丸くらいは残っているものだと思ったら、本丸は住宅団地になっているし、城址公園になっているのは二ノ丸のごく一部の残存部に過ぎない。まあ対して期待もせずに立ち寄った程度だから失望というほどではないんだが・・・。河岸段丘に面した立地はいかにも武田氏が好みそうな場所ではある。

二曲輪の外側の堀跡。丸馬出しは痕跡はわかるものの、明瞭な形では残っていなかった。
19:30 一般道をチンタラ走りながら佐久まで出て、そこから高速へ。目立った渋滞もなく、途中ちょっと仮眠などを取りつつ無事帰宅。9月の三連休はこうして終わるのであった。9月はまだ日が長いので結構その気になれば回れるのだが、まだまだ残暑厳しく、ヤブも多い。それにしても信濃の山城は比高差200m以上のものが珍しくなく、体力消耗度もなかなかのものである。クマの危険性などもあり、基本的に深い山に単独で入ることはあまりオススメできない。行く際には最低限地形図の携行と事前の下調べを。

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