<<ヤブレンジャー大将古家ツアー>>

2005.03.20(日)曇り時々晴れ

さて、いよいよ「ヤブレンジャー 大将古家ツアー」、永禄年間を中心に、佐竹氏が那須領に度々侵攻したその足跡を辿るというもの。今日はゴツイ山が多そうだ。しかし、例によって例の如く、そんなことにはお構いなしで行けるところまで行ってしまうのであろう。以下栃木県。

見学先 勝山城、弥五郎坂古戦場、稲積城、大将古家要害、高館城、新地館、下郷要害城、金丸氏要害、亀山城、大関城、広瀬城、畑の台館
メンバー アオレンジャー殿、オカレンジャー殿、オレンジャー殿、ワカレンジャー殿、ウモレンジャー

07:30

■勝山城(さくら市=旧氏家町)
早朝オプションとして単独で訪れた。いつも雨に祟られ、三度目にしてはじめての晴れで、やっとちゃんと見れました、という感じ。本丸は綺麗に整備され、その脇に「ミュージアム氏家」が建つ。かなりの規模で復元整備が行われたようだが、本丸虎口周辺と搦手附近以外は割と旧情を残しているように思う。このお城、南側に広大は城域を持っていたようで、公園の外の雑木林の中などに土塁や空堀が残る。これらの土塁は東側に延々と伸びていて、相当大きなお城であったことが伺える。どちらかといえば単調な縄張りではあるものの、宇都宮氏の前進拠点としての重要性が伺える。天気も良く、満足しました。
■弥五郎坂古戦場(さくら市=喜連川町)
宇都宮軍と那須軍の闘いによって当主の宇都宮尚綱が討ち死にするという、宇都宮氏にとって痛恨の古戦場。前に来たときに宇都宮尚綱の五輪塔の場所が結局わからなかったので、今回こそは、と思い探してみたが、またしてもわからず。。。どなたかご存知の方、場所を教えてくだされ。

(後日、旧氏家町側の山麓で発見!)

朝日が差し込む勝山城の堀。

10:00

■稲積城(那須烏山市=旧烏山町)
いよいよレンジャー隊と合流。集合場所は「稲積城の中城の土塁の下」という、実にマニアックかつピンスポットな指定。それでもきちんと合流できてしまうところが普通ではない。稲積城をざっと回り、本日のメインとなる大将古家要害の場所の確認、登り口などの計画を練る。なにしろ相当な山なので、慎重に行かねば・・・。考えてみるとこれは「大子直登ツアー」と同じ面子である。やっていることもほとんど同じ・・・?
■大将古家要害(那須烏山市=旧烏山町)
那須に侵攻した佐竹氏が陣取ったという陣城というか、山。遺構はあまり期待できそうもない、という気持ちが半分と、もしかしたらスゴイんじゃないか、という期待が半分。それ以前に辿りつけるのか。。。しかし、大体このあたりから行けるだろう、とアタリをつけた場所の附近に「大将古家入口」の標柱が!道もあるようだし、安心、と思ったら、途中から道だかなんだかわからくなっていた。延々と続く尾根筋を登るが、足許は切り立った崖がすさまじい。暫くして山頂に着いてみると・・・あまり明瞭な遺構らしいものはない。ほとんどタダの山である。しかし、木々の間から稲積城や遠く烏山城が見え、佐竹氏が本陣を置いたかどうかはともかく、斥候くらいはいたかもしれない、と思うと、今回のツアーの目的は十分果たしている。まあこういうところは遺構が云々ではなく、実地に足を運んだ、ということ自体が重要なので、これはこれで満足。

軽装で何気なく歩いているが、左手は千尋の崖。いつものとおり、道とは名ばかりの直登である。 大将古家の山頂。はっきりした城郭遺構らしきものはほとんど無い。

11:30

■高館城(那須烏山市=旧烏山町)
こちらは那須氏が佐竹の侵攻に備えた山城だという。大将古家から尾根続きではあるものの、尾根は複雑に分かれ、木々の間に見えるこんもりした山を目指して何度も進路確認をしながら進む。一応道もあるのだが、両側は崖、しかも断崖絶壁を降りなくてはならない切所などもあり、思ったより時間がかかった。道もアブナイ。着いてみると、削平地が何段にも渡って構築されており、城であることは明瞭にわかるが、あまり大規模な遺構はない。どちらかといえば古臭い山城という感じ。しかしここも普通なかなか来れる場所ではないだろうし、来たことだけでも十分満足。一箇所、新発見(?)の堀切も見つけた。戻り道も深い谷底を通るなど切所の連続。ともあれ無事に生還できてよかった。。。

尾根伝いとはいえ、満足な道も無く、ところどころ木の根っこに捕まりながら崖を下る。 おお、コイツは思わぬ堀切発見!

13:30

■新地館(那須烏山市=旧烏山町)
那珂川に面した段丘上の平城で、居住者不明の館。カクカクと折れ曲がる土塁と堀が印象的。堀は少なくとも南側は水堀だったようである。結構技巧的にも思えるし、かといってキチンと完成されたお城というようにも見えない。なんらかの事情で構築途上で放棄されたような、そんな風にも見えなくも無い。

カクカクした土塁のラインが面白い。
14:20

 

 

■下郷要害城(那珂川町=旧馬頭町)
武茂城の下で昼食をとって、佐竹氏に滅ぼされたという大山田氏のお城へ。途中、「御前岩」(レンジャー隊内通称「スケベ岩」)というちょっとした名所がある。形が女性の○○に似ている、ということで、水戸黄門様が領内巡検の折、「かかるものを衆目にさらすのはよろしからず」と、街道から見えないように竹を植えて隠したのだという。しかし黄門様、考えすぎだって。。。それに、わざわざ竹で隠すのは余計イヤラシイと思うぞ。それにしても観光客が多い。みんなそんなにスケベ岩が見たいのか。
下郷要害城は遠目でも切り立った崖が目立つ。山林の中に多くの削平地のようなものがあるが、どこまで遺構なのかはなかなか分かりづらい。二箇所ほど堀切があり、辛うじてお城であることが確信できた。まあ、ここもこんなもんでしょう。佐竹さんもいちいちこんなお城を落としていたなんて、結構几帳面なんだなあ。

こいつがスケベ・・・いや御前岩である。そのまま写真を衆目に晒すのは宜しからず、ということでちょっと加工を・・・。 下郷要害城の堀切。縄張的にはごくごく大雑把なお城である。

16:00

 

 

■金丸氏要害(大田原市=旧黒羽町)
こいつは驚いた!「金丸氏要害」なんていう、いかにも館にくっつけた砦のような名前で、大したことは無いだろうと勝手に思っていたのだけれど、その規模、遺構の雄大さは度肝を抜かれた。しかも結構技巧的。ヤブの無い横堀の綺麗さ、生々しさも感動もの。しかし、ちょっと立ち寄るにはあまりに規模がでかすぎる。時間もあまりないし、これは今度またキチンと来て、隅々まで見ないといけない。

なんという雄大な遺構! しかも結構技巧的である。これはまた来ないと・・・。

 

16:30

 

 

■亀山城(大田原市=旧黒羽町)
上那須氏の内紛による滅亡の際に、幼少の那須資久が匿われていたお城だという。ここでは何より驚いたのが、石切場の採石跡の垂直崖!おいおい、これって登れるのか、と思ったが、脇の斜面から直登することに。しかし、高さ20m以上はあろうかという垂直の石切り場、上から見ると実に恐ろしい。しかも、途中の尾根筋にこんなのが何箇所もある。肝心の遺構は小ぶりながらも単郭の主郭が残っていて、外周の土塁がはっきりわかる。しかし、尾根続き方面が採石で失われているので正確な旧情は不明。うっかりしてると採石場に落っこちそうな場所があちこちにあり、危険極まりない。一人で行くのは絶対おすすめできない。このあたりの荒れた林道では、愛馬の「ネゴヤ号」には大活躍してもらった。決してラリー車ではないのに、しかもサーキットでも十分走れるくらいの優秀な車のはずなのに、こんな山道ばかり走らされて少々気の毒な車ではある。。。(しかも花粉まみれ)

単郭のごく小さいお城だが、低い土塁がほぼ全周している。 目が眩むほどの石切り場。落ちれば即死である。このお城は結構アブナイ。

 

17:30

 

 

■大関城(大田原市=旧黒羽町)
那珂川に面した段丘上の館で、遠めにも赤茶けた土を剥き出しにした土塁の威容が目に入る。館は一部破壊されてはいるものの、崖に面した方形の様子がよく残っている。実は結構お気に入り。
■広瀬城(那珂川町=旧馬頭町)
もう夕方近くなってしまい、あとは数稼ぎモード。広瀬城は町営の温泉施設が建っており、遺構らしいものはあまりないが、眺望は素晴らしい。城主の大金氏の子孫である大金重信はあの「那須記」の著者だという。
■畑の台館(那珂川町=旧馬頭町)
すぐ背後に聳える松野南城・松野北城の居館にあたるという方形の館。土塁はほぼ失われ、周囲とは3mくらいの比高差のある台地状の地形だけが残る。もうかなり日が暮れていたが、このあと、松野南城の登り口だけ見に行く。「ついでに登ろう」という話にならなくて、正直ホッとしました(笑)。

大関城の重厚な土塁。右下のネゴヤ号と比べてもその高さが分かる。 広瀬城からの景色。

 

  この後烏山で食事をして解散(おれんじゃあ殿、ごちそうさまでした)。それにしても今日もまたまた・・・という感じのツアーでした。最近のヤブレンジャーツアーはこういうのが多いなあ。遺構の一番は金丸要害、達成感一番は大将古家、話題性のスケベ岩、戦功第一は悪路走行でも文句をいわない愛馬ネゴヤ号、というところでしょうか。それにしても那須はいいところだけど遠いなあ。。。

前へ戻る 埋もれた古城 表紙 上へ 次へ進む