攻城雑記その15

邪悪な戦争

13/03/04

これから、政治的な話題を採り上げる。お城とはこれっぽっちも関係が無い。読みたくない人、また、趣旨に賛同できない、という人は読んで頂かなくても構わない。

邪悪な戦争が始まろうとしている。「正義」を旗印とした、野心と邪心に満ちた戦争が始まろうとしている。いや、これを読んでいる頃にはもう、始まっているかも知れない。
言うまでも無く、米国によるイラク攻撃である。攻撃の名目は「国際テロ組織、アルカイダと協力関係を持つテロ支援国家への制裁」である。あるいは、「イラクは国連の大量破壊兵器査察に協力的でない」と。

おおよそ良識のある日本人、あるいは第三者であれば知っている。それが名目に過ぎないことを。そして多くの人々は、あの忌まわしい、9.11同時多発テロに対し、米国がテロ組織を直接攻撃対象とした、アフガンでの戦闘に対しては、一定の理解を示しているであろう。いや、あのテロでは多くの日本人も死傷した。それを考えれば、日本はもっとテロ掃討に直接支援すべきであった、とさえ考えている。

戦争やテロそのものが邪悪であることは言うまでも無いが、ここではひとまず「戦争は必要悪か否か」という議論は置いておく。

しかし、今回のイラク攻撃である。おそらく、世界中の多くの人々は納得していないだろう。それは、単なる米国の覇権をひけらかすための戦争、国内外の矛盾から目を逸らす手段としての戦争、経済的なバックを抱えた戦争、要するに、米国の、あるいはブッシュ個人の「私闘」にすぎないからである。しかも、アルカイダとイラクの直接の関連性は未だなにも証明されていない。よしんば、アルカイダと何らかの関係を持っていたにしても、9.11のテロとの国家的な、直接的な関連があったとは思えない。

ブッシュは言う「イラクは独裁国家である、サダム・フセインは独裁者である」と。しかし、国際世論に耳を貸さず、数々の軍縮条約から脱退し、環境保護と温暖化防止を求めた「京都議定書」を無視し、国連の同意を得ずして他国を攻撃しようとする米国の大統領の姿は、「独裁的でない」と言い切れるだろうか?フセインが独裁的であることに疑う余地は無いもの、その国の未来はその国の国民こそが決めるべきである。米国が米国的価値観で「独裁的だから叩き潰す」では、他国の国家の主権など認めていないに等しい。フセイン政権による少数民族への弾圧や、独裁的政治はたしかに懸念材料だが、第三国が武力を以って解決すべき問題ではない。あくまでイラクの未来は、イラク国民にゆだねるべきなのだ。そして、イラク国民が世界の力を必要とするときは、国連の統制の元で支援が行われるべきなのだ。

さらにブッシュは言う。「イラクは大量破壊兵器を所有している」しかし、その大量破壊兵器とやらの多くを開発し、所有し、核兵器を唯一、使ったことのある国は、他ならぬ米国である。世界一、大量破壊兵器を保有しているのは米国である。小学生でも知っていることだ。しかも、米国は、「特定の場所における核兵器の有無については否定も肯定もしない」、つまり、「いつでもどこでも核兵器を持っているかもしれない」という姿勢を貫き通している。査察どころか、常に大量破壊兵器を携帯している疑惑を自ら否定しようとしない国なのである。それは同盟国であり、「非核三原則」を掲げるこの日本に寄港する艦船、領空を飛ぶ航空機でさえそうなのである。米国は言うかもしれない「米国の核管理能力、武器管理能力は世界一であり、米国が核を持つことは世界にとって何ら脅威ではない」。しかし、考えてもみてほしい。米国は銃社会である。個人の武器所持を認め、その銃による犯罪が絶えることはない。市民生活における安全保障、武器統制もできない国なのである。

さらにブッシュは言う「大量破壊兵器を所持もしくは開発していない証拠を示せ」と。おかしな話である。「持っている証拠を掴んだから攻撃する」のではなく。「持っていない証拠を示せないから攻撃する」のである。「持っていない証拠」とはどのように示したらいいのであろうか?何のために国連の査察が行われているのだろうか?

「大量破壊兵器の拡散を抑制せねばならない」、これはその通りである。しかし、性急な武力行使はより大きな憎悪を生み出しはしないか?そもそも、兵器を世界に大量に流し続けているのは、米国をはじめとした五大国、国連安保理の常任理事国諸国ではないのか?大量破壊兵器拡散を防止するスキームを作るためには、大量破壊兵器の開発だけをターゲットに力で抑制しても根本的な解決には繋がらない。兵器そのものの国際間取引を抑制することが唯一の解決策ではないのだろうか。特に、中東のように複雑かつ根の深い問題を抱える地域においては、イスラエルのような特定の国家に軍事支援を行うことはめぐり廻って、危機を深刻にするばかりである。問題の根は深く、一朝一夕には解決できぬかもしれないが、問題の根をそのままにして、イラク現政権を武力で打倒する行為は複雑な情勢をより複雑にするだけである。そのためにも、中東にような地域に武器そのものを流入させないような抑制策が必要なのではないか。

イラクが将来、核武装することになれば確かに脅威にはなり得る。しかし、イラクはその核兵器を使うことはできないだろう。なぜならば、それを使った瞬間に、フセイン政権だけでなく、イラクという国家そのものが消滅することになるからだ。フセイン政権がそれを知らないほど愚かであろうとは思えないし、イラクという国が核武装することを考える、その土壌の解決なしに、核開発そのものだけを採り上げて、未然防止のために武力攻撃を行うことはかえって危機を煽る。もし、そのような選択を採れば、イラクは国家の威信にかけてでも、核開発を継続する道を選ぶだろう。

米国では、あのテロ事件の後、景気が減退しつつある。社会には矛盾が満ちている。しかし、これはテロばかりのせいではない。エンロンの巨額不正経理事件に代表されるように、米国社会の持つ「きしみ」が表面に現れてきたのである。それに対してブッシュは、今のところなんらリーダーシップを示せていない。もともとが、スッタモンダの末、わずかの得票差で大統領の座を掴んだ男である。この焦りを転嫁するには、外に敵を持ち、それを叩くしかない、そう考えたのであろうか。
古来、国内の矛盾から目を逸らせるために、外敵を作って叩くという手法はよく用いられてきた。それも、大帝国が崩壊する間際に、その傾向が見られる。そのレトリックに気づかないほど、世界は馬鹿ではないし、それに気づかないほど米国が愚かであろうとは、思えないのだ。

あるいは、オイルマネーと結びついた、ブッシュの個人的な「経済戦争」でもあると言う。あるいは、見えない背後に「軍産複合体」の存在も感じられる。考えられないほど幼稚な話だが、「パパブッシュ」が為しえなかった、フセイン打倒による「敵討ち」の戦争であるとも言う。

さて日本である。日本政府は今のところ「事態静観」の構えを崩していないが、米国と協調関係にある日本が、いざ開戦、となれば支持にまわると見られていることは間違いないだろう。しかし「事態静観」は日本になんら利益をもたらさない。おそらく政府は開戦後に「開戦は遺憾」「事態の早期解決」「しかし米国に一定の理解」などの「消極的賛成」の意を表し、その上で「後方支援」に名を借りた米国への追従路線を選択する気であろう。それが何の国益にもならないことを知るべきである。たとえ無駄に終わろうとも、「反対」を表明することが日本の国益と世界の利益に繋がるのである。その機を逸してはならない。

イラクが直接的な米国テロ攻撃の証拠がない今、日本はアジア諸国の利益を代表して、米国と交渉に臨まねばならない地位にある。これを拒み、追従的な「支持」を表明してしまえば、「日本は米国の属国」という評価が固まり、もはやアジア諸国の尊敬は得られぬであろう。イラクは遠国でえあるとはいえ、おなじアジアブロックの国である。日本がリーダーシップをとって平和的解決への努力をする、という姿勢こそが、アジア諸国との連帯のために必要なことなのである。たとえそれが無駄に終わっても、「日本が米国の追従路線を採らなかった」という実績が残る意味は、非常に大きい。

かつ、日本はアジア諸国を中心に、反戦の世論を盛り上げていかなければならない。アジア諸国が反対する中、米国がもし攻撃を中止すればそれは即ち日本の得点になり、米国が攻撃を開始すれば、米国はアジアにおけるリーダーシップを失い、日本や韓国、中国を中核とした「アジアブロック」形勢に大きく傾くであろう。いずれにしても、「反対」を表明しておくことで、日本は日本の「地位」を獲得することが出来るのである。

そしてそれは、「今すぐ」でなければならない。独・仏等はいち早く、米国に追従しないと宣言した。世界の世論が固まってから反対を表明しても、何の効果も無いのである。今、同盟国である日本が反対することで、日本の存在感を示し、世界世論のキャスティングボートを握ることが出来るのである。

かつ、おそらく十中八九はじまるであろうイラク攻撃に対し、何の後方支援も行ってはならない。米軍基地に対する「思いやり予算」の凍結や、武装航空機の領空通過拒否、それくらいの思い切った対応をする価値は十分にある。なおかつ、戦後処理については米国の主導権によらない、日本独自の戦後処理策、アジア諸国との協調の中での戦後処理策を推進するべきである。決して、米国追従路線を選ばないことが肝要だ。

今、この局面の対応如何で、日本の未来50年、100年の評価が決まってしまうことを念頭に入れて、毅然とした外交を行ってもらいたい。

最後に、ブッシュ大統領にこの言葉を贈ろう。


     −奢れる者も久しからず 唯春の夜の夢の如し 
             たけき者も終には滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ −

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