群馬県の吾妻街道沿いには、真田幸隆や真田昌幸らとゆかりの深い城郭が点在している。久々に山城に行ってみたいと思い、つい先日、吾妻方面に出かけた。そして、ある重大なことを思い出した。
昨年、吾妻地方の城を攻めに行ったときの事である。
美しい景色などを愛でながら、のんびりと国道145号を走っていたとき、妙なことに気がついた。
「工事箇所が多い」
「工事用車両が多い」
国道っていっても交通量考えたらたしかに細いからな〜、なんて思っていたときに、信じられないモノを見てしまった。
「八ッ場(やんば)ダム工事事務所」
な、なにィ〜!?この吾妻渓谷にダムだとぉ〜!?
そうなのである。恥ずかしながら知らなかったのだが、この吾妻渓谷にダムができてしまうのである。当然ダムができれば、渓谷は水没する運命にある。
で、調べてみて再度ビックリ。堰堤の高さは131m、幅336m。利根川水系では4番目の規模だそうだ。まあそれはどうでもよい。なんと計画は昭和27年。50年も前の計画である。もっと驚いたことに、地元・長野原町の水没世帯数は前代未聞の340世帯、800年の歴史を持つ川原湯温泉17軒も、JR吾妻線も国道145号もすべて水没。吾妻の貴重な自然だけでなく、多くの人々の生活を直撃する、とんでもないダム計画である。
僕は決して、なんでもかんでも反対する極端な自然保護派ではない。「脱ダム」が話題になっている昨今ではあるが、そのダムが必要かどうかは個々の事情にもよると思っている。防災上の観点から、あるいはエネルギー供給、水資源の供給の観点から、やむなくダムを造るケースだってあるだろう。なんでもかんでも自然保護では生活が成り立たない。それくらいは分かってる。
が、しかしですよ。昭和27年の計画に沿って今、ダム建設をする理由はどこにある?ダム推進派は、下流域の洪水調整を訴えるが、終戦直後と違って水源地の植林も進み、河川の改修や総合的な防災対策もあって、以前より洪水の脅威は減っているはず。もちろん、無いとは言わないけどね。水需要だって、言われているほど逼迫もしていないし、現に時々訪れる渇水期だって、多少の給水制限でやり繰りできてる。ダム工事事務所のサイトに
「八ッ場ダムの恩恵を受ける首都圏の人々に、ぜひそのことを心に留めていただきたいと思います。」(※)
とあるが、その下流域の首都圏に住む自分は決してこの計画には賛成できない。失うものが大きすぎる。
あらためて言うまでも無く、吾妻渓谷は榛名山や草津白根山、浅間山などの火山帯と、吾妻川が何億年もかけて作り出した、自然の宝庫である。20世紀の人間は、それらの自然を徹底的に破壊してきた。もちろん、前述のとおり、止むを得ない場合もあるだろうし、すべてが悪であったわけではない。しかし、過ちを繰り返す愚を犯すことだけは、避けねばならない。工事事務所は言う。
「名勝吾妻峡の指定区域約3.5kmのうち下流側の約4分の3は、現況のまま保存されます。なお、吾妻峡のうちでも最も観光客が訪れる「鹿飛橋」付近は、手を加えません。」(※)
しかし、生態系は?水質変化は?水量の変化は?これ以上、失ってはいけないものを失うのは、もう止めよう、と思いませんか?吾妻渓谷は国立公園や国定公園でこそないものの、十分それに値するだけの自然の宝庫だし、首都圏の人が日帰りで豊かな自然を楽しめる場所ですよ。「渓谷の替わりに、ダムが観光地になるからいいんじゃない?」なんて思っていませんか?
洪水調整能力についてもダム工事事務所は言う。
「計画では、洪水期(7月1日〜10月5日)に6,500万立方メートルの調節容量を確保して、ダム下流における計画高水流量、毎秒3,900立方メートルのうち約61パーセントに当たる毎秒2,400立方メートルの流水を調節し、ダム下流への放流量を毎秒1,500立方メートルに低減することになります。」(※)
ということは、単純にダムが空っぽの状態で27083秒間、つまり7.5時間分くらいは溜めておけるけれど、それ以上はどうしようもないですよ、ということか。もとより素人考えだからアテにはならぬ。が、当たらずといえども遠くは無いだろう。大体、夏のこの時期にダムが空っぽに近い状態であるとは思えないし、7.5時間以上の雨が降るケースだって決して珍しくはないだろう。そんなもんである。
水没世帯の生活設計についても言う。
「また、ダム事業が地域へ与える影響が極めて大きい場合は、補償のみでは生活再建が不十分であるため、関係住民の生活の安定と福祉の向上を図ることを目的とした「水源地域対策特別措置法」(以下、「水特法」という)や、水特法を補完する「(財)利根川・荒川水源地域対策基金」(以下、「基金」という)による周辺整備等が実施されています。」(※)
「なお、八ッ場ダムでは、平成7年、水特法に基づく水源地域整備計画事業として61事業が決定され(その後62事業となる。)、現在事業実施中です。」(※)
生活そのものが還ってくるわけじゃないし、そもそもこの水源地域整備計画事業って何?それで恩恵を被る人って、水没世帯の人々じゃないんじゃない?そこに利権のニオイとか、どさくさまぎれの土木行政の姿が見えることくらい、誰でも知ってますよ。そういう問題じゃないでしょ。父祖伝来の土地や街を失う世帯が340世帯もあることを、本当に考えてる?温泉街は「替わりにどこかに」というわけにはいかないですよ。
僕は思う。多分、こうして反対を表明している僕も、このダムを造る原因になってしまった一人なのだと。人間は生活水準を落とすことを極端に嫌う。反対している僕だって、水も使えば電気も使う。洪水はイヤだし、水がある日突然出なくなったら怒るだろう。でもそれが、廻りまわってこういう無謀な計画になって表れてくると、改めて考えざるを得ない。いや考えても結果は出ないかもしれない。でも、考えなければ何も始まらない。
それに、こうして一人の中世城バカが反対を表明したところで、十中八九、ある日ダムは出来てしまうだろう。それに、自分はそれと気づきもせずに吾妻川の水を飲み、洪水のない生活に感謝することもせず、当たり前の日々を送ってしまうだろう。
ダム計画が撤回されれば、それに越したことは無い。でも、もしこのままダムができてしまうなら、自分はその吾妻渓谷が死ぬ時、現場に行ってこの眼に焼き付けておきたいと思う。湖底に沈み、失われゆく吾妻渓谷をこの眼で見ながら、人間の罪と、愚かさと、おのれの弱さを忘れないために。
※引用文は「八ッ場ダム工事事務所ホームページ」より引用した。