攻城雑記その11

遺跡捏造事件に思ふ

13/03/04

平成十三年のニュース、「石器捏造事件」、あれは考古学だけじゃなくて、歴史ファンにも大きなダメージでした。もちろん本人は反省もしているだろうし、少なくとも「刑法的には」犯罪じゃなさそうだし、もう十分「社会的制裁(いやな言葉だ)」を受けているだろうから、個人攻撃はしないでおく。

このニュースを聞いたとき、昔読んだ「犯罪調書(集英社文庫/井上ひさし著)」の中の「ピルトダウン人捏造事件」という話を思い出しました。かいつまんで書くと、

「20世紀初頭のイギリス・ピルトダウン村で人類最古の頭蓋骨の破片を発見した。大英帝国にも人類最古のホモサピエンスの化石が発見されたことで国民は沸き立った。しかしその発見者に対して、別のライバル考古学者はその骨辺を偽造物として弾劾した。ところがこの弾劾した方の学者は国民の総スカンを食って失意のうちに死んだ。しかしそれから五十年後、その弾劾者の助手の遺言で恐るべき陰謀が発覚した。実は弾劾者がガセモノを埋めておいて、ライバルに発掘させ、それをガセモノとして暴き立てることで相手を失脚させようとする罠だった。しかし、国民の方がピルトダウン人の存在を望んだため、この弾劾者、いや陰謀の持ち主は相手を陥れることに失敗してしまった。ドイツにネアンデルタール人があり、フランスにクロマニヨン人があるのに、大英帝国にも人類化石が存在しないわけが無い、と考える国民感情が、ありもしないピルトダウン人を信じさせる結果になってしまったのだ」と。

この話は実話だそうです。まあ、状況は違うけど、本質は変わらない。なんとか観光資源の欲しい自治体や、世界にいい顔を見せたい学者連中が、ありもしない「○×原人」「??遺跡」の存在を盲目的に認めてしまったということじゃないでしょうか。といったら言い過ぎか?

それにしても、だます方もだます方だが、だまされた人たちは一体何だったのだろう?僕は、炭素14年代測定法なんて、必ずやってるもんだと思っていたのに、結局某新聞社がスクープしなかったらそういう検証すら行われなかったのではないか?だとしたら、学問としての考古学って一体いままで何だったの?ほんとに個人の罪として断罪されるだけでいいのかな?

僕は中世城郭中心の見学が殆どですが、こういう事件があると古代も中世もなく、発掘とか遺跡、史跡とかが全部胡散臭いものとして扱われてしまうことがとても悔しい。もう一言突っ込んで言わせて貰えば、「模擬天守」という名前のいんちき建造物だって、実は本質は同じところにあるんじゃないの?という気さえする。史跡とか遺跡、発掘成果物ってのは、ありのままの姿をしているからこそ意味があるんであって、「穴掘って石器埋めちゃえ」という発想と「わが町にも目立つ城が欲しいから天守建てちゃえ」という発想は、根っこの方でつながっているんじゃないかと思うんです。

埼玉県などでは史跡指定を取り消しているという。ここで提言。史跡指定を取り消すのではなく、すべての関係者(僕みたいなシロートを含めてだ)の自戒の意味を込めて、「史跡:○×遺跡跡」あるいは「史跡:元○×遺跡」と名づけて、永遠にこの事件の反省を刻み込んだらいかがだろう?短期間で終わってしまう「捏造石器展」なんかよりもずっと戒め効果があると思うのだが。お土産物の「原人○×」ももちろん残す。「原人?まんじゅう」とか「なんちって原人煎餅」とかいう名前で。

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