古代と中世が交錯する悠久の丘

多賀城

たがじょう Taga-Jo

別名:陸奥国府

宮城県多賀城市市川

城の種別 古代政庁跡

築城時期

大和朝廷時代

築城者

大和朝廷

主要城主

歴代陸奥守、源義家、北畠顕家など

遺構

政庁跡、築地塀跡、建物礎石、空堀の一部、門跡、古石碑等

政庁中心部の正殿跡<<2001年10月13日>>

歴史 古代大和王朝が神亀元(724)年、蝦夷(東北地方)支配のために置いた国府及び鎮守府。坂之上田村麻呂、源義家、北畠顕家など歴代の陸奥守が着任した。南北朝期、北畠顕家により陸奥国府は霊山(福島県)に移され廃城となった。

これまで見てきた、中世の城とは異なる、古代国府の跡。緩やかに続く塩釜丘陵上に、広大な陸奥国府、多賀城があります。一見して、「要害」という言葉には程遠く、後に見られるような戦時の防御を意図したものではなく、領国経営を第一としたものであることが地形からも推測できます。

ここは大和朝廷の陸奥探題から始まり、前九年の役で安倍氏追討に活躍した武神・八幡太郎義家や、建武の新政で陸奥守として奥州を治めた花将軍・北畠顕家など、古代から南北朝初期にわたり、多くの歴史的英雄が活躍した場所でもあります。

遺構は、最も広い政庁跡を中心に、約1km四方の広範囲にわたって点在しており、要所要所にに解説板や、ボランティアの解説員が立っていて、時間さえあればじっくり見学できます。政庁地区や作貫(さっかん)地区、大畑地区などには多くの建物跡や門跡が見られます。それぞれが何らかの行政機構の一部だったと思われ、古代の「合同庁舎」を偲ばせます。

最近、「国府多賀城」という駅ができて、その駅のすぐ目の前が外郭線です。仙台からも電車で20分くらいだし、行きやすい場所になりました。

多賀城めぐり

 

交通アクセス

JR東北線「国府多賀城」駅前

周辺地情報

仙台城

関連サイト

 

 

参考文献 「日本の城 ポケット図鑑」(西ヶ谷恭弘/主婦の友社)、現地パンフレット

参考サイト

 

 

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