これまで見てきた、中世の城とは異なる、古代国府の跡。緩やかに続く塩釜丘陵上に、広大な陸奥国府、多賀城があります。一見して、「要害」という言葉には程遠く、後に見られるような戦時の防御を意図したものではなく、領国経営を第一としたものであることが地形からも推測できます。
ここは大和朝廷の陸奥探題から始まり、前九年の役で安倍氏追討に活躍した武神・八幡太郎義家や、建武の新政で陸奥守として奥州を治めた花将軍・北畠顕家など、古代から南北朝初期にわたり、多くの歴史的英雄が活躍した場所でもあります。
遺構は、最も広い政庁跡を中心に、約1km四方の広範囲にわたって点在しており、要所要所にに解説板や、ボランティアの解説員が立っていて、時間さえあればじっくり見学できます。政庁地区や作貫(さっかん)地区、大畑地区などには多くの建物跡や門跡が見られます。それぞれが何らかの行政機構の一部だったと思われ、古代の「合同庁舎」を偲ばせます。
最近、「国府多賀城」という駅ができて、その駅のすぐ目の前が外郭線です。仙台からも電車で20分くらいだし、行きやすい場所になりました。
多賀城めぐり