多賀城めぐり

悠久の歴史を秘めた丘。

その丘にひとり立ち、古代の栄華に夢を馳せる、

そんなイメージだったのですが、結構見学者も多く、

ボランティアの解説員もいたりして(親切で分かりやすかったけど)

ちょっと事前のイメージとずれちゃいましたね。

 

外郭東辺の湿地帯。木塀があったことが分かっています。 南門付近の築地塀跡。発掘された塀跡は保存のため埋め戻されています。
わずかに高台になっている外郭南門周辺。朱塗り二層の門はこんなふうだったと推定されています。 日本三大古碑のひとつ「多賀城碑(壺の碑)」。なんと762年の建立!

政庁へ向かう石段。推定復原。 中央奥が正殿。手前は政庁南門跡で、礎石が展示されています。門は八脚で、門の両脇には「翼廊」が付いていました。翼廊は門を中心に両脇が地形に沿って下がっており、正面の石段から登ってくると、あたかも鳥が羽を広げたように見えたといいます。

手前の土塁状のものは南門の西南、掘立式の建物跡。奥はコンクリートで模擬復原された築地塀。 正殿正面の石敷通路。半分くらいの石が発掘された当時のものだそうだ。
正殿跡。正殿は政庁中心部ですが、行政施設というよりは宗教施設、賓客を迎える客殿だったようです。 政庁北門付近の、後村上天皇御座の地の碑と明治天皇の碑。
北東門付近の築地塀跡。 政庁北東方面の脇殿跡。多賀城にはこうした殿社跡が多数見られる。

北東門付近から見た政庁正殿跡。雲間から陽が差し込んできました。

外郭東門近くの掘立式建物跡。かなりの規模の建築物だ 外郭東門跡。基壇部分が復原展示されている。
外郭東門北櫓跡と復原された石敷道路。中世城郭ファンにも見慣れた、土塁に囲まれた虎口状の遺構。 役所群の北門跡。現代で言えば霞ヶ関の入り口にあたるところ?
作貫地区の覆屋の中で露出展示されている空堀跡。空堀といっても中世城郭で見られるような整然としたものではなく、あくまで自然の地形を生かしたもの。 作貫地区の役所跡。行政機構の集中した官庁街跡です。多くの建物跡があります。中世には豪族の館もあったらしい。

国府多賀城駅から眺望した多賀城政庁跡。湿地帯に囲まれた、ゆるやかな丘陵地帯に政庁はありました。駅の反対側には廃寺跡もありますが、時間の関係で見学できませんでした。

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