大石氏初期の本城

高月城

たかつきじょう Takatsuki-Jo

別名:高槻城

東京都八王子市高月町

(円通寺裏山)

城の種別

平山城(丘城)

築城時期

長禄年間(1457-60)

築城者

大石顕重

主要城主

大石氏

遺構

曲輪、堀切、土塁

滝山城下から眺めた高月城遠景<<2001年12月23日>>

歴史

長禄二(1458)年に武蔵国守護代の大石顕重によって築かれたといわれる。道興准后が著した「回国雑記」の中に、文明十八(1486)年十一月、招かれて「大石信濃守といへる武士の館」を訪ねたとあるが、これが高月城であるといわれている。大永元(1521)年、大石定重は滝山城を築城し移転したため、高月城は廃城になったといわれる。

関東管領山内上杉氏の重臣で武蔵守護代を務めた大石氏の初期の本城であったといわれますが、詳細はわかっていません。大石氏は後に滝山城を築き、この高月城は廃城になったともいわれていますが、ご存知の通り大石氏は天文十五(1546)年の河越夜戦での上杉氏大敗北によって北条に降らざるを得ず、氏康の三男、氏照を養子に迎えます。氏照の家臣団構成や支城の統制については詳しいことは分かっていませんが、なかなかの武勇と知略を兼ね備えていたといわれています(秀吉は氏政よりも氏照を恐れていたともいわれる)。その氏照の居城、滝山城からわずか1.5km、しかも多摩川と秋川の合流点に位置するこの城を氏照が放っておいたとも思えません。滝山城とは尾根続きでもあり、むしろ、秋川沿いの武田勢の侵攻を想定して、滝山城の出城として、あるいは事実上滝山城の一部として、使われていたのではないかと思います。

城は高月集落はずれの円通寺というお寺の裏山にあります。小高い丘の先端のごく小規模な城ですが、前述の通り多摩川と秋川の合流点に位置し、周囲は急峻な崖になっているため、それなりの要害、かつ戦略上の重要点であったことが窺い知れます。もともとの曲輪は秋川の流れに押されて、だいぶ侵食・崩落してしまっているのが実態であるようです。現在は城跡としての利用はなされておらず、三郭はラブホ「高月城」、主郭と二郭はすっかり耕されて畑になっています。一応堀切や土塁はありますが、全く整備されていないため藪や資材置き場になっていて見栄えは良くありません。かつては、このラブホのあたりに石塁があったといいますが、さすがに捜す勇気は無いですね。あまり明瞭な遺構も無く、見学に適している、見どころがある、とはお世辞にも言えないです。滝山城見学のついでに通りかかったら、丘の先端付近をチラリと一瞥してください。その程度で十分でしょう。

三郭から二郭、主郭へ向かう切通しの大手道。写真正面は三郭ですが、現在は「ホテル高月城」(ラブホっす)になってしまいました。。。

主郭付近の木々の間から見る秋川の流れ。意外にも結構な急斜面で、秋川と多摩川に挟まれた、それなりに要害の地形だったようです。

堀切。畑で使う資材やら用材やらが乱雑に積まれており、あまり見栄えは良くありません。

夕暮れ時の主郭。すっかり畑になっていて古城の趣はありません。わずかに土塁や堀が草木に埋もれているのが確認できるのみ。

 

 

交通アクセス

中央自動車道「八王子」ICから車10分。

JR五日市線・八高線・青梅線・西武拝島線「拝島」駅よりバスまたは徒歩40分。

周辺地情報

やはり滝山城をじっくり見ていって欲しいですね。

関連サイト

 

 
参考文献 「日本城郭大系」(新人物往来社)、「多摩丘陵の古城址」(田中祥彦/有峰書店新社)

参考サイト

城跡をゆく多摩の古城址史跡訪問中央電子株式会社

 

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