金山城めぐり

その2

馬場方面の尾根と実城を断ち切る大堀切。ここから先が金山城の中核部です。 大手虎口前には発掘・復原された「月ノ池」。

威風堂々たる大手虎口。発掘調査結果に基づき、「関東には本格的石垣の城はない」という定説を覆す雄大な石塁が復原されました。写真中央下部には門の礎石や排水路が見えます。 大手虎口付近の高石垣。とはいっても、日本の城に多く見られる「扇の勾配」や「気負い」はなく、無機質とも言える直線的な石垣です。

大手道周辺。腰曲輪状の小規模な曲輪が道の両側に階段状に連なっています。石塁もいわゆる「高石垣」ではなく、城というよりは神殿や舞台を思い起こさせます。発掘による復原らしいのですが、このあたりが特に僕のイメージする中世城郭とは結びつかず、いまひとつピンときません。

大手道周辺の腰曲輪の排水路。排水施設はあちこちに見られ、このように地表に露出しているものの他、石垣に開いた穴から排水する施設など、多様なものが見られます。 水の手曲輪にあたる「日ノ池」。水の手であると同時に、ある種の神聖な領域でもあったらしいです。ここも僕の中の中世城郭とは結びつかないです。

台所曲輪は果樹園に。わずかですが復原工事のされていない古びた石垣も残ります。 台所曲輪から尾根筋を歩くと実城東北曲輪。全く未整備ですが、小規模な曲輪と堀切があります。実城の北側にも出丸があるようです。

本丸は新田神社。明治八年に建立、祀り神は言わずと知れた新田義貞公です。「天主曲輪」とも呼ばれ、天守形式の隅櫓などもあったようです。 南曲輪からの景色。南側には出城である八王子砦などがある。遮るもののない景色はさすがに絶景。

左の写真は、登山用の車道の「カーブ16」の下にあった古色蒼然とした古石垣、と思いきや、読者の方の情報によればなんと、昭和(?)の失業者対策で、土砂崩れ防止のため作られたバッタモンの石垣だそうだ!ちくしょ〜ベタ誉めしたのにニセモノだったとは!たしかにここだけ、積み方がエライ普通だな〜なんて思ってたんだが。。。訂正しておきます。

城下の金龍寺には新田義貞の木像や由良氏の墓所がありますが、拝観しませんでした。実はこの寺には方形の土居がめぐっていて、戦国期、あるいはそれ以前の武士館であった可能性も高いとのこと。

やはり名城といわれるだけの迫力はありますね。綺麗に整備もされているので見学も安心。まあ、ちょっと綺麗すぎて、埋もれた遺構を探そう、という感じじゃないですけどね。ただ、この金山丘陵周辺には多くの遺構が眠っているようなので、今度はそっちを攻めてみたいです。

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