金山城めぐり

その1

揺れ動く関東諸将。

北条、上杉、武田が入り乱れ、奪い合う。

そんな中で一地方領主の由良氏は着実に領土を拡げ、

金山城は万余の敵にも百年は陥ちないと豪語した。

復原された壮大な石垣と、広大な城域を見れば

それも頷ける。

さすが、関東七名城に数えられた城だ。

 

金山城遠景。群馬県の最南端、なだらかな平地に突然コブのように突き出た独立峰です。 山頂付近まで車で上がれます。駐車場のある付近は「西城」と呼ばれる外曲輪。食い違い虎口や土塁が見られます。

二重の堀と土塁により構築された西城の食い違い虎口。 西城食い違い虎口の堀。

西城食い違い虎口の土塁には古びた石垣が残ります。石垣土塁、あるいはかつては総石垣だったのかも。 西城先端部の見附出丸。写真のような切通しの道があります。遺構かどうかは不明ですが、そうだとしたらここだけ妙に古い形式です。

見附出丸下の堀切。ここには「大手前塹壕」の碑がありますが、ここは大手虎口ではないと思うのですが。。。 なぜかその出丸の先の小曲輪に建つ城址の碑。ここも出丸の一つでしょう。

いったん駐車場ふきんまで引き返して、尾根筋を実城に向かう。西櫓台の西堀は二重になっていて、麓寄りの堀周辺は発掘が行われていました。 こちらは発掘整備が終わった西櫓台下の堀切。実城までの尾根筋にはこうした堀切が連続します。

西櫓台。樹木に覆われて眺望はイマイチ。尾根筋を西城側から侵入する敵に対しての最初の難関です。周囲には崩れた石垣の石材が散乱し、犬走りなどもおぼろげながら見られます。 物見台下の岩盤を断ち切った堀切。見てのとおりの岩盤です。掘るの大変だったろうなあ。。。

さてここから復原石垣ゾーン。まずは物見台下堀切をわたる土橋(石垣橋)と食い違いの虎口。 この一角は「馬場下道」と呼ばれ、石敷きの通路、石積みによる食い違い虎口、建物跡や竪堀を跨ぐ木橋などが復原されています。

その馬場下道の石垣。発掘調査による復原です。 上の写真の橋がかかる竪堀。石段があることから、単なる防御用ではなく、出撃路も兼ねていたのでしょう。
馬場下道の掘立建物柱穴群。礎石建物群などもあります。 馬場からみた物見台。展望台になっていて、絶景が楽しめます。この馬場にも小規模な掘立建物跡がありました。
馬場曲輪。実城手前の堀切脇を固める、防衛上重要な曲輪であったと思われます。 馬場曲輪の排水路跡。石組みの配水路が至るところに見られるのもこの城の特長でしょう。

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