久留里城近世三ノ丸

近世久留里城想像図(クリックすると拡大します)

ここでは、寛保二(1742)年に黒田氏によって再興された近世久留里城の遺構を紹介します。って言っても、あんまり見所はないんですけどね。。。。再興とはいうものの、山城であった中世久留里城から、完全な平城へと、ほとんど一からの作り直しに近いものでした。なお、黒田氏時代の久留里城、および天守については「雨城興廢記」の頁もご覧下され。

薬師曲輪から見る近世平城部分、三ノ丸(通称「御屋敷」)。残念ながら、遺構はごくごく僅かです。 これが一応「御屋敷」地区です。すっかり耕地整理されてしまって、言われなきゃ絶対気づきません。。。

多分内堀だろう、という附近から見る本丸・二ノ丸。内堀もほとんど痕跡が無い。。。

こちらはまったく痕跡が無い戸張門。

久留里街道沿いに目立つ土居の家、ここが典医・前田氏の屋敷。今でも子孫の方が医業を続けています。

不浄門附近で見つけた土塁らしきもの。

こちらもまったく痕跡すらない搦手門。 搦手門周辺には堀の名残がわずかに見られました。
おお、外堀が!と思ったら、これは農業用の溜池らしいです。。。まあ一応、江戸時代からあった、ということで。。。。 おお、これが一番の成果、三ノ丸外曲輪南側の二重櫓跡。手前の田んぼは外堀です。
大手門附近の外堀。周囲より若干低い田んぼになっています。 大手門附近。一応外堀は確認できますが、大手の枡形は跡形もなし。
外曲輪北東の櫓もこんな塩梅です。。。。 だだっ広い久留里城の散策を終えたら「久留里三万石」で食事、これいつものパターン(笑)。

久留里城    雨城興廢記

埋もれた古城 表紙 上へ