| わずか七年で消えた幻の近世大城郭
 福島城 ふくしまじょう Fukushima-Jo 別名: | 
  
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             新潟県上越市港町
             (古城小学校付近)
             
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          | 城の種別 | 近世平城 |  
    | 築城時期 | 慶長十一(1607)年頃 |  
    | 築城者 | 堀氏 |  
    | 主要城主 | 堀氏、松平忠輝 |  
    | 遺構 | なし |  
          | 古城小学校内の城址碑と石垣跡<<2001年4月30日>>
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    | 歴史 | 起工の時期は定かではないが、慶長三(1598)年に上杉景勝が越後から会津へ転封となった後、入封した堀秀治が、峻険な春日山城からより行政に便のいい平城に居城を移すために起工され、秀治の子、忠俊の代の慶長十一(1607)年に完成した。忠俊が慶長十五(1610)年に改易となると、徳川家康の六男、松平忠輝が越後60万石の太守として入城した。しかし忠輝は、高田に新城を築いて移り、慶長十九(1613)年、廃城となった。関川・小町川・保倉川と日本海に囲まれた越後初の近代大城郭であったが、わずか七年でその役割を終えた。 | 
  
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            | 越後初の近世城郭ですね。現在では古城小学校と港湾関連施設に占拠されていて、その遺構は皆無に等しいのですが、実はかなりの規模とモダンな(笑)コンセプトで築城されていました。 堀氏移封のあとは家康六男・松平忠輝が 万石で入封しましたが、その後高田に新城を築城し、壮大な福島城はわずか七年で廃城となってしまいました。あまりに海と河川に近すぎて水害の被害がバカにならなかったというのが理由らしいですが、一説には忠輝が「波の音がうるさくて眠れない」というのも理由だとか。我儘小僧で家康に勘当されてしまった忠輝なら、そういうこともあったかも知れません。
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            | 海と川とに囲まれた近代城郭・福島城の縄張。遺構は殆どありません。 |  |